卯年の幕が静かにあがり、新しい年がやってきました。
やり残しと、これからの希望を乗せた船が新春の光り輝く海に向かってマストをあげる船出。
今年の海は凪かしら?それとも…?
幸運の旅の始まりを祈りつつ、今年初めてのお便りです。



世界的なレベルで多事多難だった昨年を後にして、スタートを切った2023年。
年末の空に輝くオリオン星を眺めながら 「この輝きを同じ時間に眺めている人がいるのね…」 と妙にしみじみとしてしまいました。
おめでとうございます、エミールです。

みなさんは、どんな気持ちで新しい年を迎えたのでしょうか?
すでに二年詣り(大晦日から夜中にかけて神社にお参りする)をすませた方は、おみくじをひいてみましたか?
万が一 「凶」 が出た時には何事も初心にかえるべし、と解釈して真っ白な気持ちで臨むと吉に変わりますよ。

昔、私の父が上京したときのこと。
「では、東京見物でも」ということでまずは銀座、それから浅草へ。
すき焼きに舌鼓を打ち、浅草寺へと、お詣りに。
「どれ、おみくじをひいてみるか」 とごきげんの父。
そこで気持ち良くひいた御神籤で 「凶」 が出てしまい、意地になり再びひいたら「大凶」で、ますます意地になって、三回目もこれまた「凶」。

ハタで娘が 「一度に何回もひくのはルール違反!だって言ってるのに~」 
男の意地なのでしょうか、子供のようなことをして呆れたものでした。
(おみくじの神様の方も意地があったのかもネ)

しかしまぁ、ものは考えようなのか? この「凶」なるお告げにもめげず当家の父曰く、こんなに珍しいことは滅多にないので 「有難い」。
「きっと、強運に恵まれるに違いない。ならばこの御籤は持ち帰り、神棚に供える!」 と言ってのけ、本当に神棚に供えていたものでした。
しかし内心…ドキドキもの? 厄払いなのか、意地なのか、はたまた、ヤケになっていたのか?
このときは、大散財して実家へ帰って行きました。

さて、まるで後占いのようですが、この御籤のご託宣、「先に驚きあり、のちによし」ということで、まさに「こんなことがあるか!」というくらいビックリするようなことが起き、ピンチはチャンスの一年だったそうです。

その結果、「転んでもタダでは起きない」根性が培われたとのこと。
「凶」御籤は父の縁起もののように扱われ、亡くなった後も語り草としてお位牌の横にありました。

さてさて、この縁起という不思議な現象。
みなさんも縁起の実態は…? でも、なんとなく感じることがあるでしょう。

これは、最近耳にしたことですが、数字のセブンはどうしてラッキーなの?
由来はアメリカのメジャーリーグで、第7イニングの攻撃「Lucky Seventh」からきている。
1885年の優勝戦、7回、平凡なフライだったはずの球が風のいたずらでホームラン!
その試合での勝利選手、ジョン・クランクソンがラッキーセブンの名付け親というわけ。
日本では、ジャイアンツの選手にとって7回目は運が良いとうジンクスも。
野球大好き女子は是非、詳しくリサーチをしてみてね。

「7(セブン)」 この不思議な数。
実は占いや、おまじないの中でも特別な数とされています。
北斗七星や七曜占術を始めとして、7を基数とする占術や魔法。
キリスト教では「7」は完全数とされ、タロットカードで「7番目」といえば勝利と栄光を示す「戦車」。

日本では縁起物の代表格「七福神」。
応仁の乱に遡り室町時代後期、内乱に疲弊した人々が神仏に癒しを求め、遠い海を越えてやってくる船に乗った7人の神様に願いや祈りを求めたという。
「幸せの神様は海の彼方から」という島国ならではの発想でしょうか。
それが江戸時代になり、七福神は庶民のあいだにも広がっていった。

そういえば良い初夢を見るために七福神の絵を枕の下にしくと言う、言い伝えもありましたっけ。その他には行事として「七草粥・七夕」どちらも奈良時代に唐から伝来した文化であり、徳川幕府が節句の祝日にしたので庶民文化として広がった。

やはり、今も昔もイベントは楽しいですものね。

この「7」についてアメリカの心理学者、ジョージ・ミラーの論文「マジカルナンバー7」の中で、さほど意味のない数字の連ぞくは、7ケタずつ区切れば覚えやすくなるというものがあるそう。

こうなるともう、世界中が七不思議の世界!
七つ道具、七変化、七つの海…、まだまだ身近なところにある「7」、あなたも一緒に考えてみませんか?

ちなみに今年のエミールは「七転び八起き」で頑張りまーす。)^o^( 

     エミール