今回は少し早めに7月のお便りに取りかかりました。
今の太陽は黄経90度の位置。
ちょうど夏至を迎える日のお便りだと後半に向かって縁起がいいかなぁなんて思っていたのです。

初夏を迎え、夜空にかかる星座を眺めていると思いは古代の世界へと羽ばたきます。
はるかかなたからキラキラと、サインを送ってくる星たちはいったい私たちに何を伝えたいのでしょうか。
古代社会に生きていた人々はどんなメッセージを受け取っていたのかしら。
想いを膨らませ、遠いかなたへと心を飛ばす時間は、私にとって気持ちがやすまる唯一無二の時なのです。

思いはさかのぼり、まだ子供の頃のことです。
夏の夕方になると屋根の上に布団をしいて、父と一緒に星を見上げ、「あの星はうさぎさんに見える」とか「あっ!流れ星!」と、かなり遅くなるまで屋根上天体観察をしたものでした。
今思えば他愛もない日常の一コマですが、漆黒の闇の中に煌々と光を放つ星を見ながら、もし夜空に星の輝きがなければ地上はどうなっていたのかしらと考えたり、どうして春夏秋冬の星座は変わるのかと、疑問で頭の中がイッパイ。

さて、花火が上がる日は心待ちにしていた日のひとつ。
絵日記の宿題に書かないといけない大事なことのひとつだしね。
とはいえ、昭和30年代頃の花火といえば、一つ上がった後、次までの間が数分も。
よそ見をしていて「どーーーん、パラパラ…」と音がしてから急いで見ると、ドーンのところは音だけで、パラパラ・・・の辺りで散りかけた花を見るような感じでした。
現代のように次から次へと夜空に咲く花を見ることはできませんでしたが、何故かあのスローモーションのようなタイミングで上がる花火がとても懐かしいです。
のどかでホノボノとした…、そんな感覚がよみがえってくるのでしょうか?

花火の日は特別な日としても見上げる夜の空は、一年を通して心を思い切り走らせることができる素敵なグランドであり、友達でした。

それにしてもいつも不思議に思っていたのは、どうして同じ時間の同じ地点なのに、季節が変わると夜空に現れる星座の登場人物が変ってしまうのか。

質問責めになっていた父は、ある時夏の空を見上げながら「今、空にいるのはオリオンをやっつけたさそりだよ。」と神話の物語をしてくれました。
冬の星座のシンボルのひとつであるオリオンは、さそりに討たれてしまい、もう絶対にさそりのそばにはいくものか! と冬の星座になったんだよ…。
それから? それから? というわけで。
だから、さそりが空に出ている夏には絶対姿を現さない。
さそりが西に沈んでホットする秋になると、そろそろ顔を出してきて、冬になると今さそりがいる場所で安心して遊んでいる。
喧嘩ばかりのオリオンと、さそりは正反対の場所にいて季節も180度違う、夏と冬の空を担当する。
絶交している星が、季節が変わり喧嘩相手がいなくなると同じ場所にやってきて、今度はのびのびと光っているんだよ。

この話では全く宇宙科学になっていないのですが、苦肉の策? でオリオンとそのお友達の話をしてくれました。
オリオンの三ツ星と、その友達「ひなかご」こと、プレアデス星団。
もう一人は「ジャン・ド・ミランの星」大犬座のシリウス。
この星たちはとても仲良しでした。
ある日、みんなで一緒に結婚式に行くことになりました。
が…、ひなかごは早起きで朝早く出かけ、天空の高いところを通って一足先に行ってしまった。
オリオンはほんの少し寝坊をして、慌てて空の中道を急いで走り近道をしました。
ジャン・ド・ミランはとても寝坊だったので、目を覚ましたときにはもう夜明けが近づいていました。
あわてて西の空を見ると「ひなかご」や「オリオン」が沈みかけているのを見つけました。
大急ぎで追いかけながら
「おーい。待て。 どうして待っていなかったのだ! そこに止まれ!」
そう叫んで持っていた杖を放り投げたのが、オリオンのところにひっかかりました。
そこでオリオンの三ツ星は、またの名をジャン・ド・ミランの杖とも言われているのだそう。

おおよそこんな内容の星座物語でしたが、後になってからこのお話はフランスの作家アルフォンス・ドーデ作の「風車小屋便り」の中にある「星」だと知りました。
羊飼いの男の子と街の少女が星を眺めながら語るシーンだと分かった時、屋根の上に布団を敷いて星を見ている父と私に重なり、思わずクスリと笑ってしまいました。
ひなかごやオリオン、そしてシリウスが早く着いたり、中ほどであったり遅れてしまうお話は、星座の出没時間の差を観察していて、とても面白いと思ったものでした。
しかし? 夜空にかかる星座たちが季節・季節で違うのは何故? の質問はなんだかはぐらかされてしまったようです。

さて、父が亡くなってからですが、思い出話をしていたら、なんと!
この星の物語は、母が図書館で「子供星座図鑑」を見て丸暗記してきた話を、父が必死で覚えたものであったとのこと。
質問ぜめをする娘に困り果てた、両親の共同作戦だったのでしょう。

夏の空に還っていった父は、
「ははっは!ごめんよ。 本当はね。 お母さんのお手柄なんだよ」
なんて言っているのでしょうか?
今夜は夜空を見上げて、さそり座を探してみることにします。

ところで、父の思い出はともかく、6月初旬に安曇野から上高地へ出かけ、新鮮な山の空気を堪能してきました。
思い出をフォトレターしますね。

       エミール



安曇野になる岩崎ちひろ美術館の広場です




定番の河童橋の上で




穂高の峰が青空にクッキリと




ハイキングの後、テラスで景色を楽しみました


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