早くも夏バテしそうな毎日ですが、お元気でしょうか。早いもので、もう一年の半分が過ぎてしまいました。
過去に書いた星便りを読み直してみると、7月は焦っていろんな事をしようとした失敗談が出てきますが、たぶん半分も過ぎているのでここで何とか巻き返しをはかろうとして、何かやらかしているような感じも…?
今年は同じことを繰り返さないようにしなくてはネ。

さて過日のこと、ルネ・ヴァンダール研究所の時空心理学協会15周年記念式典にお招きを受けました。熱心な会員のみなさんに支えられ早くも15年周年を迎えた時空心理学協会。とても素晴らしいことです。

この日、私も少し占いについてお話をする機会がありました。
テーマはふたつあり、ひとつは「星座の境界線生まれの解釈」、もうひとつは「東洋占星術と西洋占星術の相違」についてでした。
前者について書いていると、お便りの枚数が足りなくなるので後者のテーマについて少し書いてみます。

洋の東西ふたつの占星術は、まったく別もののような気がしますがこの二つの占い、実は異母兄弟ともいえる存在です。
両者ともに天体の動きを中心として運勢を観るのですが、東洋占術の場合は天体の動きと同時に地上での変化を一体化しているので、人の運命や役割などを季節と結び付けて思考する方法をとります。
ここで季節と時間を記号化した万年暦が誕生するわけですが、春夏秋冬が循環するがごとく万年暦もある一定の期間になると元に戻るのです。
60歳になると「還暦」を迎えるというのは十干十二支の組み合わせ60通りが、60年でひとつの単元を巡り、また新単元に一からスタートを切るために起こる数字の組み合わせによるものです。

一方で天に輝く惑星を眺めながら運の流れを考える西洋占星術の世界では、実際に見える天の星たちの声をききながら運の流れを考察します。肉眼でとらえることができるので実星です。
万年暦の中にある星は目で確認することができないので虚星と呼ばれていますが、虚=怪しいわけではありません。虚星の語りはとても饒舌で二十四節気の世界など、みなさんの身の回りには馴染み深いものがたくさんあふれています。
ここですでに共通のことは「天地照応」であること。
つまり天と地は互いにリンクしあっているという考え方が東洋占術にも西洋占星術にもみられることです。

東洋は道教や儒教などの精神分野の発達から精神的な世界へと導かれ、西洋では物理や科学などの後押しで現実的分野が発達しているように思えますが、運命について語る時、両者は手法こそ違え、
「考える→選択する→判断する→決断を手助けする」
この素朴な流れは全くもって同じことといえるでしょう。宇宙というコスモス、人というミクロコスモスは切っても切り離すことができないくらい密接な関係があるのです。
歴史的所産ともいえる占いですが、みなさんも夏の星座を観察したり、身近な季節感から体感するものを基に、オリジナルな占いを考え出してみるのもいいかもしれません。

ところで6月の終わりですが、日本の美しい村を散策する企画があり栃木県まで出かけてきました。
どこまでも広がるグリーンの絨毯、瀬音と鳥の声。ここ栃木県那珂川町の里山には、人の手を加えたものがほとんどありませんでした。
夜空を見上げれば、頭上に北斗七星が輝き、地上には蛍が……。
まるで天地の星が入れ替わったような錯覚すら起こしてしまいそうになり一瞬の間、時間と空間が消えたような気がしました。

日常が慢性的に忙しく、自分を見失ってしまいそうな時には、静かな里山で心を洗ってみてはどうでしょう。心身に新たなエネルギーが蘇ってくる感覚を得られますよ。

エミール