みなさんの春景色はどんな様子ですか?

まさか私のようにサボリ虫に、そそのかされたりしていないでしょうね?
もっとも、この虫は今のシーズン、全国いたるところで大活躍中ではないかしら。
一日中、ぼーっとしていたとか、眠くてしょうがない、締切りを忘れていた…などの症状があるそうですよ。
処方箋もこれといって、優れたものがあるわけではないので4月と5月あたりは、ぼーっとしたままで、いきましょうか?

がしかし、現状はそう甘くない。
「原稿はどうなっているの? 進んでる? 書いてるの?」とパートナーから鋭いチェックが入る。
もしかしたら「何もしていないのでは?」という疑いと不安がブレンドした、この声に向かい私はおごそかにこう答える
「今、やってます!」

実は、「今、やっている」というこの言葉はとても便利なの。
全く進んでいないときや、なーーんにもやっていないときも、そう言われた瞬間にハッと我に返り、まだ何もやっていない原稿にスイッチが入るので「今、やっている」ことに嘘はなくなる。
或いはまた「今からやろうとしている」未来形のカードも出せる。

が…敵もこのあたりの論法を網羅しているので、次の一手。
「いつできるの? 今日中?」こう詰め寄ってくる。
ここで再び、おごそかに「今夜中には…」と答える。
しかし、夜になればなったで、夜明けまでにはなんとか…と言いつつも、朝寝坊をしながら
「あ~、もうこんな時間なのね~。日が暮れるまでにはなんとかするわネ」 と…。
どうやら、この感覚は江戸時代の不定時法に通じるようだ。
そうだ! 春は不定時法でいこう!
なにもかも春……、私のことか…。

ふり返ってみれば、このシーズン、私はいつもこの「虫」の囁きにそそのかされ流されるように過ごしていたような気がする。
物事を毅然と決めるでもなく、キッパリ・ハッキリ方針を立てるでもなく、春爛漫の中でぼーっとしていた。
でも、この魂のゆらぎのような時間の中には無限のエナジーが隠れている。
現象的には何も生産性がなく、時の流れが止まっているかもようには見えるが…。
たとえばこんな感じ。

「勝とうとするな。下手なほうが、勝算が高い」という感性。
荒唐無稽なようではあるが、ある意味言い得ている。
三味線では「ふ~」と息を吐き、力を抜いてから引くとよい音色が出ると、その道の名人に聞いたことがある。
「弾こう」と力がこもると呼吸が乱れ、呼吸と同時に音が乱れる。
変に気合を入れるのは逆効果なのだそうである。
たとえて言えばどんな感じですか?と問うと、その師匠は
「そうネ。ぼーっとした感じに似ているかしらね。弾く時にはただ弾けばいいのよ」
…だそう。

そうか! 上手くやろうとすると「気」が固くなり、尖ったまま突っ込んでしまうのか…。
試合でも相手に勝とうとすると、何か技術をなぞるので相手に読まれてしまう。
型どおりに攻め、リズムや呼吸がバレる。
ここで自分のイメージが崩れてしまうと、ドミノ倒しのように負けに向かいコマが進んでいく。
イメージ作りというプランニングが邪魔をすると、身体が思うように動かなくなってしまうのかもしれない。

そこで、少しでも必勝のそばにいようと思ったら、下手に徹する作戦がありそうだ。ぼーっとした佇まいも相手の虚をつくので、こちらに有利に働く。
「あれ?どうしてあのアングルから攻めてくる? しかも、あの余裕はなんだ?」
こちらとしては、下手なので下手は下手なりに余計なことは考えず、試合に臨む。
なまじ、うまくやろう!と張り切らないほうが勝負に集中できそうだ。

生活シーンが変わり、不安と緊張の中にいるみなさん。
うまくやろうとせずに、ややぼーっとした感じでいきましょう。
プチ悟りの境地の訪れで何とかなります。

会話であっても、上手にしないといけないか! とか、マナーを身に付けキチンとしなくては! と焦らなくてもOK。
(これらは真面目に生きていれば、いつか必ず自然に身につきます)
ちなみに接客のプロといわれる女性は、サ行を頭とする五つのワードで好感度を上げているみたい。
「さすがです」 「知りませんでした」 「凄いですね」 「せっかくですから」 「そうだったんですか」
この五つを繰り返しながら聞き手サイドにまわる。
初対面の人との会話に困ったら、とりあえずこのサ行進行作戦もアリですよ。

ではまた5月にお会いしましょう。



3/20小石川植物園ではマメザクラが満開でした。右下の人影が私エミールです。


ベランダにある鉢植えのツバキ、赤い花の中に一輪だけ白い蕾をつけてくれました。