「聖なる境界線を引く」ということ

世の中は、相変わらず落ち着きませんね。でも……だからと言って、自分の人生を楽しむことを諦めて、悲観的になり過ぎないように過ごしていきたいと思います。

時々、実家の母と電話で話します。
母はとても心配性な人で、電話ではいつも3~4時間(!)話すことになるのですが、その間ほとんどずっと母が、一人で話しています。

内容は、色んな心配事です。
私に対しても「あれをするな、これをするな」「コロナで危険だから、スーパーに行く以外は、一切家から出るな」「人様に迷惑かけないように」

心配してくれる気持ちはありがたいですし……母の話も一理あるのですが……、でも母の話をずっと聞いていると……、こんなすさまじく危険な世の中で、私はなんとか生き延びていけるのかな……もしかして無理かも……、なんて、重たい気持ちになってきます。

若い頃は、そんな母にいちいち「何でもかんでも物事をネガティブに見るのをやめて、もっと人生楽しめばいいのに!」と突っかかっていたものですが……。

私も、この歳になりますと(ただいま53歳です…) 母には母の世界観、価値観があり、それに対して、正しいとか間違っているとかジャッジしても仕方がないなあと思うようになりました。
私自身が、母の理想とする娘にはなれないように、母も、私の期待どおりの人になるのは無理だろう……。
人は誰しも、誰かの期待通りになることは難しいものだ……、年を重ねて、だんだんそのことが、わかるようになってきたのでした。

それで……電話中、母の話を聞く側に徹して、母の言葉を遮らず反抗せず、「そうだね、そうだね」と聞いています。

同時に。ここでもう一つ大切なことは、母の話はそのまま尊重して聞きますが、聖なる境界線を引くことも大事だということです。
電話が終わったら、目を閉じて……深呼吸をします。
ノートを開いて、私が今、不安に思うこと、心配なことを書き出します。

もう一度、深呼吸をします。
もし何をしても失敗しないとしたら、私は何をしたいかについても、できるだけ優しい気持ちで書き出してみます。
そうすることで人の意見にも耳を傾けながら、自分の気持ちを無視することもなく、バランスが取れてゆくような気がします。