緑豊かな街となった広島に思うこと

「終戦の詔(みことのり)」が放送された1945年8月15日正午前後の東京の最高気温は、32.3度だったと気象庁の記録にあります。
七十二候の立秋次候に入っていたのですが、この年の8月も今年同様の暑い夏で、東京ではほぼ連日最高気温が30度を上回る陽気だったようです。

夏の盛りに咲き、その白さが涼を呼ぶ花に浜木綿(ハマユウ)があります。
彼岸花(ヒガンバナ)の仲間で日本の海岸近くなどにも自生する花です。

現在、広島平和記念公園で咲いているインドハマユウは、1945年8月6日の原爆で焼かれた球根から育てられたものです。
原爆投下から約1か月後、焼け焦げた球根から葉が芽吹いているところを旧日本軍兵士に見つけられ、大切に手許で育てられた後、1996年に公園に寄贈されたそうです。

広島では、爆心地から2キロ圏内で被爆しながらも命を永らえた被爆樹木約170本が、今でも葉を青々と茂らせています。

「75年間は草木も生えない」とさえ言われた地で、1か月後には蘇り命をつないできた草花。

今年、終戦から75年を迎えました。
草木は生えないどころか、広島市内は被爆樹木をはじめ街路樹もたくさん植えられて、本当に緑豊かな街となっています。
こうして毎年緑を茂らせる木々の姿は人々に、これまでもそしてこれからもCOVID-19や気象災害などの災禍を乗り越える力をもたらしてくれることでしょう。

※参考文献
『被爆樹巡礼 原爆から蘇ったヒロシマの木と証言者の記憶』(杉原梨江子:著/実業之日本社)