私は「本物の心理テスト」という携帯サイトを主催していて、そこには読者からのお悩みの投稿に答える「お悩み相談」のコーナーがあります。今回ご紹介するのは、そこに実際に寄せられたお悩みです(個人が特定できないように、内容は変えてあります)。あなただったら、どう回答するか、考えてみてください。

相談者:「私が中学生のときのことです。内気で自分からはクラスメートに話しかけられない子がいて、いじめにあっていました。私はその子を助けてあげて、いつも守ってあげていました。そのかいがあって、その子はだんだんみんなと話せるようになり、友達もできました。
ところが、だんだんと私を避けるようになり、嫌っているような表情やそぶりさえ見せるようになりました。そんなはずはないと思って、私のほうは普通に接するようにしていました。 それなのに、ある日、ついに下じきを投げつけられました。あやうく片目を失明するところでした。
ものすごくショックでした。私は今、高校生ですが、いまだにこのことが忘れられません。人のことが信じられなくなってしまいました。いじめられている人がいても、助けてあげる気持ちになれません。中学のときのあの子は、なぜあんなことをしたのでしょうか?」

回答者A:「人に親切にしてあげても、感謝してもらえるとは限りません。昔から『恩を仇(あだ)で返す』という言葉もあります。親切にしてあげても、相手からは感謝されない、それどころか心ないことをされる場合もある。そう覚悟して、親切にするべき。あるいは、それがイヤなら、親切にしないほうがいい」

回答者B:「その子とは、もともと気が合わなかったのでしょう。それでも、あなたはその子がいじめられているからやさしくしてあげたのだし、その子もそれがありがたくて、そのときはあなたと親しくしていたのでしょう。でも、自分で友達も作れるようになると、あなたと気が合わないことも意識するようになってきたのかもしれません。気が合う合わないは仕方のないことです。いじめから助けてあげたのはいいことですし、その後、気が合わなかったのは別の問題として、気にしないようにしましょう」

回答者C:「親切にしてあげるのはいいことだけど、一方的すぎたのかも。助けるほうはよくても、助けられるほうは、一方的に助けられてばかりだと、負担に感じたのかもしれません。いつも助けられてばかりでは、自尊心が傷ついてしまいます。それがあなたのせいのような気がしてきたのかもしれません。あなたのほうも別のことでその子を頼ったり、公平な関係でいるようにすれば、こういうことにはならなかったのではないかと思いますよ」

あなたは回答者A、B、Cのどの意見に賛成ですか?
心が決まったら解説を読んでください。



このテストから学ぶテーマ
「人に親切にするとき、忘れてはならないこと」

今回は「親切」について考えてみたいと思います。
人に親切にするのは気持ちのいいものです。人から親切にされるのも嬉しいものです。どちらも嬉しくて、お互いに支え合えるのですから、こんなに素晴らしいことはありません。
ところが、人間というのは、複雑なもので、ここでも不思議なことが起きてしまうのです。親切にしてあげたのに、恨まれて仕返しされる、というようなことが。
これはいったいなぜなのでしょうか?
相談文を読んで、「その助けてもらったほうの子は、いったいどう思っていたんだろう? その子の話も聞いてみたいな」と思った人もいるのではないでしょうか?
実は、そういうお悩み相談の投稿もありました。
つまり、いじめから助けてもらったほうからの相談です。いじめから助けてもらって、とても感謝しているのに、なぜかだんだんうとましく感じるようになっていって、そんな自分の気持ちか理解できなくて、困って相談してきたのです。
そう、親切にしたのに憎まれたほうもビックリしますが、親切にしてもらったのに憎しみを覚えるようになったほうも、同じようにビックリしているのです。
人の心というのは不思議なものです。なかなか自分でもわからないことがたくさんあります。
じつは、【心理的負債感】という心理があります。これは、借金のことを考えるとよくわかります。お金に困っているときに、お金を貸してくれる人がいれば、これは嬉しいはずです。その人にも感謝の気持ちがわくでしょう。
でも、いつも一方的に借りるばかりで、どんどん借金の額がふくれあがっていったとしたら、どうでしょう? とても返せそうにないと思うと、貸してくれた人と会うのが気まずくなってきませんか? 相手が貸してくれすぎたように思えて、だんだん憎くなってくるかもしれません。
心の負担も同じことなのです。一方的に親切にされすぎると、借金がたまったときのような負債感を覚えてしまうのです。
では、人には親切にしないほうがいいのでしょうか? そうではありません。【心理的負債感】が生じないように、気をつけてあげればいいのです。
そのためのポイントは二つあります。
まず一つ目は、「相手に代わって自分が問題を解決してあげる」というのではなく、なるべく「相手が自力で問題を解決できるようサポートしてあげる」ということです。
そうすれば、「自分でやった」という思いがあるので、負債感をあまり覚えずにすみます。
なにもかもやってあげると、相手は自力では解決できないという無力感にとらわれてしまいます。ダメ男を懸命に支えてあげた女性が、その男から「おまえのせいでオレはダメになった」とののしられることがあるのも、そのためです。

二つ目は、相手に親切にしてあげたら、こちらも相手に何かしてもらう、ということです。つまり、ちゃんとお返しをしてもらうようにすればいいのです。一方的に与えるばかりにならないようにするわけです。「親切にする上に、さらにそんなに気を遣わなければならないのか」と理不尽に思うかもしれません。
でも、そこまでできてはじめて本当の親切なのです。
なお、親切を受ける側も、同じことに注意しましょう。 全面的に頼るのではなく、自分で問題を解決する手助けをしてもらうようにする。
一方的に親切にしてもらうのではなく、こちらもお返しをするようにする。
もちろん、そうはいっても、自分ではどうしようもないし、お返しをする余裕なんか、まったくないこともあります。
そういうときには、「感謝の気持ち」をきちんと伝えましょう。何か物をあげたり、同じように助けてあげることだけがお返しではありません。
感謝の気持ちも、立派なお返しなのです。
親切にしたほうにとって、相手の心からの感謝というのは、なにより心を満たしてくれるものです。お返しはそれで充分なのです。

今、たくさんの人がボランティアで、サポートを行っています。困っているときに助け合うのは、本当に美しい姿です。
しかし、もしかすると、そこでも【心理的負債感】の問題が起きてしまうかもしれません。それは双方にとって悲しいことです。 そういうことのないよう、ぜひこの【心理的負債感】ということを知っておいていただきたいと思います。
<賢者の答え>

回答者A「親切にしてやっても、こんなもの。そう覚悟すべき」
→この意見をもっともだと思ったあなたは……
私も昔はこう思っていました。親切にしても、感謝を期待してはいけない。恩を仇で返されることもある。それを覚悟する必要がある。だから、「人に親切になんかしない」という人がいても、それは仕方ないかもしれない。そんなふうに思っていました。 ただ、それはどこか悲しいようにも思っていました。親切に対して、何かあきらめの気持ちのようなものを持たなければならないというところが、なんとなく納得できませんでした。
もっと誰とでも、親切にし、親切にされて、みんなが笑顔でいられるような、あたたかい交流ができないものか。それは甘すぎる考えなのか。
ですから、心理学を学んで、【心理的負債感】を知ったときには、驚きました。言われてみれば単純なことですが、意外に気づかない心の盲点です。【心理的負債感】に注意さえすれば、相手がよほどヒドイ人でない限り、親切にして恨まれたり、仕返しされるようなことはないはずです。 私はそのことをとても嬉しく感じたのですが、あなたはどうでしょうか? 

回答者B「もともと気が合わなかったんだ。それは仕方がない」
→この意見をもっともだと思ったあなたは……
親切にしてもらったので、感謝しているけれど、話していると、「この人とは合わないなー」としみじみ感じてしまう。
そういうことはあるものです。私も経験があります。あなたもあるのかもしれません。
ただ、その場合でも、だからといって、失礼なことはしないはずです。
するとしたら、やはりそれはヒドイ人で、そんな人に親切にしてしまったことを後悔するしかないのかもしれない。そんなふうに私は思っていました。
でも今はちがいます。たしかに、そういうヒドイ人もいるかもしれませんが、多くの人は【心理的負債感】のせいで「恩を仇で返す」ようなことをしてしまうのでしょう。
気が合わなくても、親切にしたり、親切にされたりすることで、心のつながりができる。これはむしろ素晴らしいことだと思います。 【心理的負債感】にさえ気をつければ、そういう関係を築いていけるはずです。

回答者C「親切にしてあげるのはいいことだけど、一方的すぎたのかも」
→この意見をもっともだと思ったあなたは……
親切というのは、余裕のある人が、困っている人にすることが多いので、どうしても一方的になってしまいがちです。 そこに問題があると気づくのは、あなた自身が【心理的負債感】を感じやすいほうなのか、あるいは、人の心のこうした弱さに理解があるほうなのでしょう。
人は「できれば自分の力で問題を解決したい」という気持ちを持っています。ですから、「人に助けてもらう=自分には問題解決の能力がないと認めること」になるので、自尊心が傷つき、問題が解決してもあまり素直に喜ぶことができません。
相談者が助けてあげた子は、相談者のおかげでいじめから救われ、友達もできたことで、うれしいと同時に、「自分の力でできなかった」という挫折感も生じてしまったのでしょう。相談者のことを、なんとなくうとましく感じるようになっても不思議ではありません。そういうところに気づけているあなたは、きっと上手に人に親切にしてあげることができるでしょう。


いかがでしたか? 親切が恨みにもなりうる…こんなケースもあるのですね。
津田先生「余談ですが、この『助けた子に下敷きを投げつけられて失明しかけた』相談者に、【心理的負債感】の話をしたとき、『長年の疑問がはじめて氷解した』と、とても喜んで おられました。『今ようやく、あの子が理解できた。絶対に許せないと思っていたけど、許せると思えた』とも言っておられました。心理学をやっていて良かったと思う瞬間です。心は理屈だけでは解明できません。しかし、『理解できない心理』が人を苦しめることがあります。そんなとき、『理解できる』ようになるだけでも、かなりの救いになります。 この相談者は『人に親切することがこわくなっていた』ともおっしゃっていたのですが、また親切にする気持ちになれたそうです。親切はいいもの、素直にそう言えるようになりたいですね。」

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