一輪の山吹の花に思いを託して

春、ふだん気にもとめないようなちょっと日陰の場所が明るい黄色に彩られていて、眼を惹かれることがあります。半日陰を好む山吹の花がいっせいに咲くからです。
その山吹の別名は「面影草」です。

説話社近くの都電「早稲田」停留所から、ひと駅先の「面影橋」。神田川にかかるこの橋のたもとに「山吹の里」の碑があります。この碑は、ある言い伝えに基づいて建てられたそうです。その言い伝えとは……。

江戸城を築城したことで知られる室町時代の武将、太田道灌(おおたどうかん)が鷹狩をしたときのことです。鷹があらぬ方へ飛び去ったのであとを追ったところ急に降り出した雨に、とある農家で蓑(みの)を貸してほしいと頼みました。
ところが農家の娘が無言で差し出したのは、手近に咲いていた一輪の山吹の花。
道灌は訳が分からず、ちょっと腹を立てて帰りました。
このことを近臣に話すと、平安時代に兼明(かねあきら)親王が詠み『後拾遺和歌集』に収められた「七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)ひとつだに なきぞ 悲しき」という和歌にかけて、蓑を貸せない気持ちを伝えたのではないかと教えられました。
道灌は自分の無学を恥じ、以後和歌を学んだといいます。

↑太田道灌

太田道灌は応仁の乱に始まるとされる戦国時代初期、兵法にも和歌にも通じた文武両道の無敗の名将として知られていましたが、戦乱の中で暗殺されてしまいます。

次々と咲き、はらはらと散っていく山吹の花を見るたびに、歌心を持ったひとりの武将を思い出すことになりそうです。

※参考文献・資料
『江戸名所図会』国立国会図書館 http://www.ndl.go.jp/
『神田川再発見―歩けば江戸・東京の歴史と文化が見えてくる』神田川ネットワーク:編・著 東
京新聞出版局
『東京史跡ガイド4 新宿区史跡散歩』高橋 庄助:著 学生社
『神話と伝説にみる花のシンボル事典』杉原梨江子:著 説話社