昭和に生まれ昭和から平成にかけて歩いてきた私にとっては、かなり年をとってから改元との巡りあわせです。

ここにきて人生の最終章ともいえる時代を、新元号で迎えることになりました。
まだ若い時代であれば、イベントのひとつのように受け止めていたかと思いますが、これまで積み重ねられてきた長い時間が思い出され、なんだかシミジミとした気持ちになってしまいます。

集英社からノンノが創刊されたのは昭和46年(1971年)、48年前のことでした。
当時高校2年生だった私は西洋占星術のページに魅かれ、ルネ・ヴァンダール先生に遠い雪国より1通の手紙を投函しました。
「上京して職を得たら必ず門下生にしてください。」と。

時は経ち……。
幼稚園教諭として中野区の私立幼稚園に就職をした私は、見習い生としてルネ先生の元に通い始めました。
仕事が終わってから四谷にあるアトリエまで通い、原稿用紙をそろえることや掃除・届け物、時にはご自宅の片付けや買い物。
その中で占いを身につけていくというのが、まだ占いのスクールなどなかった頃の見習いスタイルでした。
仕事は盗んで覚えるのが当時のやり方だったのです。

徒弟制度であったので、先生の言うことは神様の言葉くらい重みがあり、神々しいまでの存在。
それが師匠だったのです。
本当にできることならもう一度、あの時代に戻りたいと思うくらい、心の中に眠る宝物です。

今回のお便りはこの宝物をお分けしたくて、私の占い助手時代のお話を少しご披露してみます。

入門してから半年たったある日の事。
夏空にぽっかりと白い雲が浮かぶ、すっきりとした日曜日の午後(土日といえ、お休みは無いのですよ)。
ルネ先生が、かき氷でも食べに行こうというので、「まだ、原稿が終わっていませんよ」と私。
江戸っ子の先生曰く、
「おーお、こんなにお天道さんの(太陽のことです)機嫌が良い日によ。ケチなこといってちゃ良い原稿なんか書けねえよ!」

(私、心の中で エ? ケチなことってナニ?)

そんなわけで浅草に行ってかき氷を食べていた時のこと、通りの向こうで派手な喧嘩が始まりました。
師匠曰く、「江戸っ子のレジャーみてえなもんよ」とのことでしたが、延々と続く喧嘩の様子に「流儀が違うなぁ、そういや最近では粋な喧嘩が少なくなったなぁ」とぽつり。
喧嘩は長々と相手をなじるようなものではなく、是非を問うたらサクサク手仕舞いする。
手じまいしたあとは、心のクリーニングを兼ねて酒でも酌み交わして水に流す
(今風に言えば素直に自分の落ち度をみとめ、心の平安を取り戻しましょう、ということ)。
要は“サクサク”片づけ、引きずらないのが大人の流儀とマナーだというわけです。
 
余談ですが、その日、師匠が教えてくれたこと。
その①威勢のいい啖呵のきりかた。
その②様子のいい(みばえが素敵)浴衣の着方。
その③粋な姐さんの下駄のはき方。
その④喧嘩に臨む時の気持ちのコントロールと呼吸の整え方。
番外編として、喧嘩しても絶対にほどけない帯の結び方(これは男子のみとのこと)。

占いの本題を教わる以前に、啖呵を切ったり包丁の研ぎ方実習であったりして「いつ、占いの講義が始まるのかな?」と思いもしましたが、すでにその時から占いへと道が繋がっていたのでした。
つまり人生を観察すること。
事実、私はこの喧嘩見学から人の世について考えるヒントを、たくさん得ましたから。

更に言えることは、
「粋は引き算、野暮は足し算」
無駄を省き、スッキリといく。服装などはゴテゴテとアクセサリーで飾らず、清潔感が一番!

え? 宝物のおすそ分けが喧嘩の思い出って、どういうこと?
「いいじゃねえかよ!いちいち細かいこと言ってんじゃねえよ!」
……って、きっとルネ師匠なら喝破していますよ。

みなさん、サクサク粋にいきましょうね。

5月には天皇即位礼、大嘗祭と続く行事に新しい時代への扉が開いて行きますね。そう言った意味、このひと月間は大切なつなぎ目です。
ピリオドとスタートを感じながら歴史が交代していく期間を、立会人の一人としてシッカリと見つめたいですね。

エミール



先生がご健在であったころ、パーティの席で写した1枚です。




春爛漫を感じさせてくれる満開の桜です (3/25新宿御苑で写しました)。


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