「あの人のああいうところが許せない」 「悪いのはあの人なのだから、こちらが嫌うのは仕方ない」 「ああいう人には、いてもらわないほうがいい」 そんな気持ちになることもあるでしょう。そんなときに観てみていただきたいのが、 『ハーヴェイ』という映画です。
もともとはブロードウェイで上演されたお芝居で、5年間ものロングランを記録する大ヒットとなり、ピューリッツァー賞(戯曲部門)を受賞しています。(画像はwikipedhiaより掲載 「Harvey」 public domain)ハーヴェイというのは名前ですが、主人公の名前ではありません。
主人公の名前は、エルウッド。町の名家の当主で、立派な家屋敷と財産を相続して、何不自由なく暢気(のんき)に暮らしている中年男性です。彼にはいつもいっしょにいる親友がいます。その親友の名前がハーヴェイなのです。
ハーヴェイは、身長が190センチくらいある巨大な白いウサギです。「?」となる人も多いでしょう。ハーヴェイは、エルウッド以外には見えません。でも、エルウッドはハーヴェイと会話をし、ハーヴェイに道をゆずったり、椅子をすすめたり、そこに実在しているとしか思えないように振る舞います。

エルウッドは酒場でみんなと一杯やるのが大好きで、毎日のように飲んでいるので、そのせいで幻覚を見ているのかもしれません。アルコール依存症による幻覚は、小さい兵隊とか、小さい飛行機とか、通常は小さい場合が多いのですが、巨大なウサギを見ないとも限らないでしょう。
困ったのは、エルウッドと同居している姉とその娘です。娘はもう結婚適齢期です。家でパーティーを開いて、上流階級の方々に娘を紹介し、いい縁談が舞い込むようにしたいのですが、エルウッドが、お客さんたちに、礼儀正しく、ハーヴェイを紹介してしまうのです。
見えない巨大ウサギを紹介されて、お客さんたちはみんな、びっくりして、急用を思い出して帰ってしまいます。このままでは家にちゃんとした人たちを呼べません。
一方で、エルウッドのほうは、酒場で出会った、ホームレスのような人でも、「家に食事にきてほしい」と、どんどん招待してしまいます。出会った人たちにすぐに打ち解けて、誰彼の区別なく、みんな招待するのです。
姉は、弟のエルウッドをもてあましますが、家から追い出すことはできません。家屋敷はエルウッドのものなのです。自分たちのほうが、エルウッドに置いてもらっている立場なのです。出て行くこともできません。遺産はエルウッドのものですから、生活できなくなってしまいます。
そこで姉は一計を案じます。エルウッドを精神病院に隔離してもらおうとするのです。
ヴィタ(ジョセフィン・ハル)とその娘マートル・メイ(ヴィクトリア・ホーン)
*wikipedhiaより掲載「Harvey」public domain
そうすれば、ハーヴェイに悩まされることはなくなるし、家や財産も自由に使えます。
しかし、「弟が巨大なウサギといつもいっしょにいて悩まされて」と泣いてまくしたてる姉を見た精神科医は、姉のほうがおかしいのだと勘違いして、姉を入院させてしまいます。
エルウッドのほうは、落ち着いた物腰で、おだやかで、誰にでもやさしく、機嫌がよく、寛大で、とても感じのいい人です。医師たちは、エルウッドに好感を抱きます。
ケリー看護師(ペギー・ダウ)とエルウッド(ジェームズ・ステュアート)
*wikipedhiaより掲載「Harvey」public domain
家に招待されますが、これも別におかしいとは気づかれません。エルウッドはハーヴェイを紹介しようとしますが、ちょうどハーヴェイは席を外していたので、これもヘンだとは思わずにすみます。
それから、いろいろあって、けっきょく誤解が解けて、姉は無事に病院から出ることができ、今度はエルウッドがとらえられます。
1本の注射で、エルウッドの幻覚は消えると医師は言います。姉はそれを打ってくれるように頼みます。ハーヴェイさえ消えてくれればいいのだからと。しかし、その注射を打つと、人格まで変わってしまいます。今の、純真で、親切で、心やさしいエルウッドはいなくなってしまいます。人嫌いで、不寛容な、冷たい人間になってしまいます。
姉は迷います。ハーヴェイのいる生活はもうたくさんだけれど、弟の性格が変わってしまってもいいのか……。
究極の選択です。
さて、ここまで読んできて、あなただったら、ハーヴェイに注射を打ってもらう決断をくだしますか?

Aの意見
「巨大なウサギが見えているのは、あきらかにおかしい。治療せずにおくのはよくないから、注射は打つべき」
Bの意見
「人格まで変わってしまうのはよくないから、注射はやめるとしても、そのままではマズイから、何か別の治療方法を考えるべき」
Cの意見
「当人は幸せに暮らしているのだし、周囲がハーヴェイに過剰に反応しなければ、我慢できないことではないはずだから、そのままにしておいてあげたほうがいい」

心が決まったら解説を読んでください。


このテストから学ぶテーマ
「不愉快な他人をどこまで受け入れることができるか」

「どんな注射なんだ?」と気になる人もいるかもしれませんが、初めての向精神薬が登場するのは1954年で、原作の戯曲が書かれたのは1944年、映画化も1950年ですから、あくまで架空の薬です。精神病院の患者のあつかいがひどかったりするのも、昔の映画なので、大目に見てあげてください。今はもちろん、こんなことはありません。
昔、この映画を観たとき、面白かったですし、感動もしたのですが、正直、何が言いたいのか、よくわかりませんでした。 「幻覚を見るような人にもやさしくしてあげよう」ということなのか?「不思議なものが見えてしまうくらいのほうが、人生は楽しい」ということなのか?
しかし、その後、人間関係の問題で悩むときに、この映画をふと思い出すことが、度々ありました。
「ハーヴェイ」はいろいろな見方のできる映画なので、以下は、あくまでひとつの見方にすぎません。ただ、私にはこんなふうに思えたのです。たとえば、遅刻をしない人と、遅刻をする人が、待ち合わせたとします。遅刻をしない人にしてみれば、遅刻をしてくるというのは、とても不愉快なことです。自分はちゃんと早めにしたくをしたりして、間に合わせているのですから。相手がそういうことをしないというのは、だらしないとしか思えません。何度もそういうことが続けば、自分を軽視しているようにも思えてきて、なおさら不愉快でしょう。こんな相手とのつきあいはやめようと思う人もいるでしょう。
一方、遅刻するほうにしてみれば、遅れるにはそれなりの理由もあるし、頑張ってもどうしても遅れてしまうのです。時間より早くから待っていられたりするのは負担ですし、少しの遅刻で、大変なことのように怒られるのは、言い過ぎの気がします。待つのがイヤなら、自分も遅めにくればいいのに、それはしないのですから。こういう相手とのつきあいは無理かなと思うこともあるでしょう。
このように人は、「遅刻するかしないか」というような、ほんのさいいな価値観の違いでも、相手を受け入れることができずに、縁を切ったりしてしまいかねません。価値観の違う相手、欠点のある相手、自分にとって迷惑な相手……そういう相手とつきあうのは大変なことです。
そもそも、自分自身の欠点や弱点さえ、なかなか受け入れがたいものです。【自己受容】(自分自身をありのままに受け入れる)ことができない人はたくさんいます。
まして、他人となれば、なおさらのことです。【他者受容】は簡単なことではありません。我慢も必要です。
エルウッドの姉は、我慢できないと思いました。我慢にも限界があるし、我慢する意味があるとは思えませんでした。そもそも彼女は、自分と同じ上流階級の人たちとしかつきあいたくないと思っていました。
ですから、弟が誰でも家に招待するのは気に入りませんでした。まして、見えない巨大ウサギときては、とても受け入れられませんでした。それは、特殊なことではなく、むしろ彼女のほうが普通でしょう。
一方、エルウッドはどうでしょうか? 彼はたんに幻覚の見える人ではありません。彼は誰でもありのままに受け入れる人です。酒場であったホームレスでも、喜んで家に招待します。
それは、かわいそうとか、寛大なところを見せようというのではなく、ただたんに、家に来てくれれば楽しいと思うからです。誰にでも、その人なりの魅力を感じるからです。
映画の中では、ハーヴェイは、プーカ(アイルランドのイタズラ好きな妖精)で、もしかして実在するのでは……と思わせるような描き方もされています。
もし目に見えないだけで実在するとすれば、エルウッドは、そんな不思議な存在さえも、受け入れたということです。
お酒を飲んで、巨大ウサギと話をする人なのに、映画を観ていると、なぜかエルウッドのことがどんどん好きになり、心が温かくなります。それは彼が、誰でも気持ちよく受け入れてあげる人だからです。ですから、この映画は、どこまでも【他者受容】できる人と、それができない人たちの物語とも言えます。
もちろん、現実には、エルウッドほど【他者受容】することは不可能ですし、そんなことをすれば、エルウッドと同じように、困ったことにもなるでしょう。だから、これはファンタジーです。
でも、気持ちのいいファンタジーです。なぜ気持ちがいいかと言えば、誰だって本当は【他者受容】をしたいからです。なぜなら、それは自分も他人から受け入れてもらえるということだからです。
キレイだから、仕事ができるから、お金があるから……
そんなことで受け入れてもらっているだけでは、それらが失われたとき、他人とのつながりまで失うことになります。
人は基本的に、自分と違う他人は嫌いです。不愉快です。でも、自分とまったく同じ人はどこにもいません。ですから、自分と大きく違う人からだんだん切っていっていると、いつか小さな違いの人まで切りたくなってきて、孤独におちいります。他者を受け入れるということは、基本的には、迷惑や不愉快を受け入れるということです。
それでも、その人に好意を抱くということです。
映画の最後で、これは少しネタバレになってしまいますが、姉は注射をやめさせます。
彼女はハーヴェイには我慢がなりませんでしたが、それでも弟は好きだったからです。別人になってほしくはなかったからです。
そして、そのままの弟でいてもらうためなら、ハーヴェイがいても仕方ないと、あきらめます。
私はここでとても感動しました。ハーヴェイはイヤでも、弟は好きということにです。つまり、ものすごくイヤなところがあっても、その相手を愛することはできる、ということです。
愛するがゆえに、ものすごくイヤなところを我慢できる、ということです。とても難しいことではありますが、エルウッドのようになるのは無理としても、せめて、ラストシーンの姉のようになれないだろうかと、私もいつも自分に問いかけてみています……。

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<賢者の答え>

A「巨大なウサギが見えているのは、あきらかにおかしい。治療せずにおくのはよくないから、注射は打つべき」
をもっともだと思ったあなたは……
いつも述べているように、この心理テストには、正解や誤答はありません。今回の流れだと、注射を打つという決断は、よくない決断であるかのようですが、必ずしもそうとは言えません。
まず、本当の幻覚の場合ですが、これはもっと重い精神疾患 の前兆の場合もあるので、軽いうちに病院に連れて行って治療を受けることは、とても大切です。また、病気とは関係なく、たんに「他人の欠点や不愉快なところ」と考えた場合ですが、これも直すように要求したり、直るように指導したりするのは、もちろん悪いことではありません。
ただ、そこで重要なのは、「相手 の人格まで変えていいのか」ということです。姉はそこで思いとどまりました。
つまり、姉は「弟のエルウッド」と「ハーヴェイ」を分けて考えたのです。この 「分けて考える」というのは、とても大切なポイントです。結婚生活の心理研究で「相手の言動を非難するのはいいが、相手の性格を非難すると、うまくいかなくなる」という結果が出ています。
どういうことかと言うと、たとえば「こんなにちらかして! 片づけて!」と怒るのはいいけれども、「こういうだらしない 性格をなんとかして!」と怒ってしまうと、関係が悪化するということです。行動なら直すことができます。
変えることができます。しかし、性格は簡単には直せません。また、それは「自分を変える」ということでもあります。
ですから、行動への非難はよくても、性格への非難は良くないのです。これは夫婦関係だけに 限りません。あらゆる人間関係において、同じことが言えます。
これを昔の人はうまくことわざにしています。「罪を憎んで、人を憎まず」。欠点のある人、気にくわない人、不愉快な人がいても、なるべくこの「罪を憎んで、人を憎まず」で接してみてください。
つまり、攻撃したり、関係を切ったりしようとせず、でも 我慢し続けるのでもなく、「こういう言動は直してほしい」と言い、でも相手そのものは否定しないということです。そうすれば、もめながらでも、なんとか仲 良くやっていけることもあるはずです。

B「人格まで変わってしまうのはよくないから、注射はやめるとしても、そのままではマズイから、何か別の治療方法を考えるべき」
をもっともだと思ったあなたは……
あなたは、困った部分は治療しようとしていて、困っていない部分については、そのままにしておこうとしています。つまり、相手の困った部分と、困っていない部分を、分けてとらえることができているということで、これは実はとても大切なことです。
なぜなら、人は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉さえあるように、その人のどこかにイヤなところがあれば、その人に関連したものまで嫌いになるくらいで、まして「その人全体」を嫌いになってしまうものです。
いいところは見えなくなって、イヤなところばかりが拡大鏡をのぞくように迫ってくるものです。
エルウッドを精神病院に隔離しようとしたときの姉は、エルウッドとハーヴェイを区別していませんでした。いっしょに捨て去ろうとしました。エルウッドによいところもあるとしたって、全体として我慢がならなかったのです。まるごとおさらばしたほうがましだったのです。
でも、いよいよエルウッドらしさが失われようとするときに、そのよいところにも気づけたのです。相手の悪いところが気になったとしても、良いところも見えていれば、人間関係はまだ大丈夫です。悪いところは直してもらおうとするとしても、良いところはそのままでいてほしいと願う。そういう気持ちがあれば、大切な人間関係まで壊れてしまうようなことは起きません。ぜひその気持ちを忘れないようにしてください。

C「当人は幸せに暮らしているのだし、周囲がハーヴェイに過剰に反応しなければ、我慢できないことではないはずだから、そのままにしておいてあげたほうがいい」
をもっともだと思ったあなたは……
当人の幸せを優先して、我慢してあげようという気持ちになれるあなたは、他人を拒絶する気持ちよりも受け入れる気持ちのほうが強いよう。
人の欠点や困ったところも、「面白い」と思えるほうでしょう。迷惑をかけられるのはイヤでも、そういう相手のことは憎めないほうでしょう。
ゲーテにこんな言葉があります。「お互いに相手の立場を認め合い、お互いに理解し合うべきで、お互いに愛し合うことができないとすれば、お互いにせめて忍耐し合うことを学ぶきである」
なぜ忍耐しなければならないのか?
それは自分とまったく同じという人はいないからです。どこかで自分とは考え方や感じ方や価値観が違うので、つきあうには、必ず我慢が必要になります。我慢してまでつきあう必要があるかと言えば、人は決してひとりでは生きていけないのですから、我慢してまでつきあう必要も価値もあります。
あなたなら、どんな変わった人でも、困った人でも、「まあ、こういう人がいるのも面白い」と思うことができるでしょう。面白がれるというのは、人間関係ではとても強みです。
とてもおもしろがってはいられないほど、合わない人もなかにはいるでしょう。本当に危険や人や、詐欺師のような人は、人間関係を断つべきなのは、言うまでもありません。
でも、そうでなければ、なるべく面白がって、多くの人を受け入れてあげてください。


津田先生「巨大なウサギの幻覚」というのは、よほどインパクトが大きかったようで、その後の映画や文学などに、たくさんの影響を与えています。私がすぐに思い出せる範囲でも、『ドニー・ダーコ』という映画にやはり巨大ウサギが出てきましたし、『ヒミズ』という漫画でも、ウサギではありませんが、主人公はそんなふうな幻覚を見ていました。
そして、こんなふうに幻覚を見ている人というのは、じつは決して少なくありません。
私には話しても大丈夫と思うのか、中学生の頃から、よくそういう打ち明け話をされました。意外な人が、なかなか不思議な幻覚を見ていたりします。それ以外はまったく普通なのですが。そういう人は、なぜかやさしい人が多く、魅力的な人が多かったです。
自分はちょっと変わっているという思いが、他人への思いやりにもなり、そのことで人格に深みが増していたのかもしれません。」

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スタッフより
昔「許せない人とはどんな人ですか?」とアンケートで聞かれたことがあり、書いては消して、結局書けませんでした。何を書いても結局自分に返ってくるような気がしたのです。それに誰にでも、自分にも、人には必ず欠点はあり、それでも欠点と性格は別のもの。だから、許せない欠点はあっても、許せない人というのはいないのではないでしょうか。そんな信条の私が、選んだ選択肢はBでした」