「結果を出せ」。 仕事などでよく口にされる言葉です。勉強したからには、いい成績をとりたい。 働くからには、評価されたい。 頑張ったからには、結果を出したい。
そう考えるのは自然なことでしょう。そのためにこそ、頑張れるという人も少なくないでしょう。
しかし、 どんなに頑張っても、結果を出せないことがあります。 むしろ、そのほうが多いでしょう。そんなとき、人はどうなってしまうのでしょうか? どうすればいいのでしょうか?
今回ご紹介するのは、 「結果を出せなかった」ことによる失意が、命を失うことの一因ともなった、 ロバート・スコットの実話。「人類史上初の南極点到達の競争」のお話です。
(ロバート・スコット  1868年6月6日 - 1912年3月29日)今年はスコット隊の南極点到達100周年にあたります。今から100年前の1912年の1月17日午後6時半、 スコット隊は、南極点に到達します!ここまでの道のりは大変なものでした。 イギリス人のスコットは、父親の強制で軍人になりましたが、 冒険のロマンへのあこがれが強く、南極点到達の夢を持っていました。南極点到達の夢に1回目に挑戦し たときは、残り733kmの地点で断念せざるを得ませんでした。それでもあきらめず、満を持して、2回目の挑戦をしました。
1910年6月、捕鯨船を改造したテラ・ノヴァ号で、南極に向けて英国から出航。
テラ・ノヴァ号(1910年12月)
当時、北極点に向けては、他国からも探検隊が出ていました。 ノルウェーのアムンセン隊、アメリカのピアリー隊です。しかし、南極点を目指している探検隊は他にいませんでした。 (実際には日本の白瀬隊がいましたが、装備が不充分で、競争相手とは目されていませんでした)
南極に着いて、ここから南極点まで直線距離でも片道約1400キロ。往復で2800キロ。 2800キロというと、日本最北端の町、北海道の稚内から、沖縄県の石垣島までの直線距離です。 それだけの距離を摂氏マイナス50度を下回る極寒の中で進むのですから、想像を絶します。
1911年11月1日午前11時、スコット隊、ついに出発!
雪上車と、ソリをひく馬を連れていたのですが、 出発から1週間で、寒さで雪上車が壊れました。寒冷地用の馬も、次々に倒れていきました。出発から1カ月後には、人力でソリをひいていくしかなくなりました。
それでも、南極点まで167キロのところに、1912年の1月10日に到達し、「ここまでくればもう大丈夫!」と確信していました。
そして、1週間後の1月17日午後6時半、ついに南極点に本当に到達したのです!
しかし、人類が初めて到達したはずの、その地点には、なんと、赤地に青十字のノルウェー国旗がはためいていました。北極点を目指していたはずのノルウェーのアムンセン隊は、アメリカのピアリー隊が先に北極点に到達したために、目標を北から南に大きく変え、南極点を目指していたのです。
そして、 スコット隊が到達するよりも1カ月以上前の1911年12月14日午後3時に、すでに南極点に到達していたのです。
南極点到達メンバー(後列左から)ウィルソン、スコット、エヴァンズ(前列左から)バウアーズ、オーツ
スコットの失望はすさまじいものでした。自分の夢がかなわなかったからだけではありません。イギリス国民の期待も背負っていました。探検のための資金をいろんな人たちに出してもらっていて、その人たちも失望させることになります。人の期待に応えることができなかったというのも、またとても辛いことです。

彼は日記に書いています。
「神よ、一番乗りの栄誉なしに到達するには、ここはあまりにも過酷な地です」 「恐ろしいほどの失望。忠実な隊員たちには、心から申し訳なく思う。すべての夢は終わった。帰路の辛さが思いやられる」
帰路、スコット隊は遭難し、全員、死亡します。スコットの遺体は今もまだ南極にあります。
もちろん、失望したせいだけで、遭難したわけではありません。遭難した原因はさまざまに言われています。ただ、失望もその大きな一因であったことは間違いありません。失意がどれほど人の心と身体を弱らせるか、誰でもいくらかは想像できるはずです。「もし初到達という栄誉があれば、彼らは生還できただろう」と言われているそうです。
さて、人類初を目指していたのに、二番手になってしまったとき、あなたなら、どう思いそうですか?

A.「一番乗りを目指して頑張ってきたのだから、二番手では意味がない。これまでの努力がムダになったということで、なかなか立ち直れないと思う」
B.「一番手ではなくても、二番手でも、それなりの偉業だし、誇りを持つべきだと思う」
C.「一番乗りになれなかったのは、あくまで結果にすぎない。これまで南極点を目指して頑張ってきて、さまざまな困難を乗り越えたことにはかわりないのだから、その喜びを忘れてはいけないと思う」
心が決まったら解説を読んでください。


このテストから学ぶテーマ
「これは結果にすぎない」という考えかたを!
「でも、けっきょく……でないと意味ないですよね」 こういう言いかたをよく耳にするようになりました。
最近も、「悲しいときには、無理にすぐに立ち直ろうとせずに、ちゃんと悲しむことが大切です」 とアドバイスしたときに、「でも、けっきょくは、明るく立ち直ることが大切ですよね」 というふうに言われました。返事に詰まりました。
たしかに、最終的には明るく立ち直ることができれば、それがいちばんです。
いつまでも悲しみ続けているほうがいいと言っているわけではありません。
でも、何かひっかかる。どこかちがいます。
それで考えてみたのですが、 「過程を無視して、結果だけを求めている」ところに、問題点があるのだと思います。
会社では上司から、「いくら努力しようと、どういう過程があろうと、そういうことは意味がない。肝心なのは結果だ。結果しか認めない」 というようなことを言われることがあるかもしれません。しかし、自分で自分にそれに近いことを言ってしまっている人が、 最近は少なくありません。何かが肝心だと思ったら、 それだけを求める。
「けっきょく勝たなければダメ」
「けっきょく合格しなければダメ」
「けっきょくキレイ/イケメンでなければダメ」
「けっきょくお金を儲けなければダメ」
「けっきょく成功しないと意味ない」
「でも、それが現実だし……」と思う人も少なくないかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか?
結果ばかりを重視する考え方を突き詰めていけば、「人はどうせ死ぬんだから、何をやっても意味がない」というところに到達してしまいます。成功しようが、お金を儲けようが、最後は死ぬだけです。 実際、そう考えて死を選ぶ人もいます。
そういう人に向かって、多くの人はこんなふうに言って、とめるのではないでしょうか? 「でも、生きている間に楽しいこともあるんだから」
最終的な結果が「死」であっても、「生きている間=過程」を楽しむ。
これこそが生きるということでしょう。
他のことでもそうです。
「のび太の結婚前夜」というアニメ映画で、結婚する静香ちゃんが、自分のパパに、 「何もしてあげられなかった」と言います。確かに、苦労して子供を育てたのに、家を出ていってしまって、育てたかいがないという親も少なくないでしょう。
しかし、静香ちゃんのパパは、「とんでもない」と否定します。そして、静香ちゃんを育ててきた間のいろんな思い出を語り、その感動や楽しかった想い出が、最高の贈り物だと言います。つまり、育てる過程で、すでに報われているのだと。
オリンピックの「参加することに意義がある」も、決して綺麗事ではなく、本当にそうだと思います。メダルをとれたか、何色のメダルだったかというようなことは、結果にすぎません。
南極点到達も、それが1番であったか、2番であったかは、結果にすぎません。
そこまでの努力、さまざまなドラマ、友情、葛藤、感動、悲哀、苦悩……そうした積み重ねの価値は、結果によって左右されるものではありません。
たとえ周囲は結果によって評価を上げたり下げたりしても、自分自身だけは、結果ではなく、過程の価値を大切にしたいものです。
過程は、結果にたどり着くまでの、「どうでもいい期間」ではありません。
過程こそが、人生の醍醐味です。
人生を列車の旅に例えるなら、 終点に着くことが目的ではありません。 終点までの旅の過程を楽しむのが、人生を楽しむということです。
途中に、いろいろな駅があります。 たとえば「成功駅」があったり「失敗駅」があったりします。「成功駅」では嬉しくて、「失敗駅」ではガッカリするでしょう。
でも、その駅に着くまでの旅は同じように楽しく、あるいは苦しく、その楽しさや苦しさこそ、旅行の醍醐味です。肝心なのは駅そのものではありません。
駅に着くことだけを考えて、途中を楽しまなければ、それは旅ではありません。
辛い結果になってしまって、今までのことがすべて無意味だったと思えて、たまらないときには、「これは結果にすぎない」と考えるようにしてみましょう。大切なのは、結果ではなく、過程なのです。

<賢者の答え>

A「一番乗りを目指して頑張ってきたのだから、二番手では意味がない。これまでの努力がムダになったということで、なかなか立ち直れないと思う」をもっともだと思ったあなたは……
ずっと一番を目指してきて、そのために頑張ってきたのに、一番になれなかった。そのときに、深く落ち込んでしまうのは、これは誰でもそうだと思います。
私自身がスコットの立場だったら、帰路遭難どころか、その場でもう動けなかったのではないかと思います。
でも、「これまでの努力がムダになった」とまで考えてしまうとしたら、結果を重視しすぎる考えかたになってしまっていると言えます。
結果というのは、偶然にも左右されますし、仮に良い結果を手に入れることができたとしても、またすぐに次の結果を求めることになってしまいます。
たとえば、目標の大学に合格しても、次は目標の会社への入社という次の結果を追い求め、それがうまくいったとしても、今度は出世を追い求め……。
良い結果にしか幸福を見出さないとしたら、それはいつもほんの一瞬で、ほとんどの人生の時を結果のためだけに過ごすことになってしまいます。列車の旅で、 駅に着くことだけを考えて、途中の風景を楽しむことを忘れてしまうようなものです。 結果がどうであっても、「それまでの過程には価値がある」というふうに、ぜひ考えるようにしてみてください。

B「一番手ではなくても、二番手でも、それなりの偉業だし、誇りを持つべきだと思う 」をもっともだと思ったあなたは……
二番手でも誇りを持つことができるあなたは、結果だけでなく、過程もちゃんと重視できているということでしょう。
ただ、もし「二番手だから」「偉業だから」ということだとしたら、やはり少し「結果重視」の傾向があることになります。
たとえまるっきり結果を残せなかったとしても、その過程には価値があります。
たとえ他人には評価されなかったとしても、少なくとも自分自身はその価値を高 く評価してあげるべきです。
たとえば、頑張っているのに、いつまで経っても仕事を覚えられないとします。結果が出せないから、その人はダメでしょうか? 会社としてはそう評価するかもしれません。しかし、人としてはどうでしょう? なんでもすぐに覚えて、結果を出せる人のほうが魅力があるでしょうか? いつまでも覚えられず苦しんでいる人にもまた、人間的な魅力があるのではないでしょうか? 
人は決して結果だけで評価されるような存在ではありません。ダメと切り捨てられがちなところに、じつは別の目で見れば、すごく輝いているものがたくさんあります。 人に対しても、自分に対しても、結果ではなく、ぜひもっといろんな角度から評価してあげるようにしてみてください。
C「一番乗りになれなかったのは、あくまで結果にすぎない。これまで南極点を目指して頑張ってきて、さまざまな困難を乗り越えたことにはかわりないのだから、その喜びを忘れてはいけないと思う」をもっともだと思ったあなたは……
「あくまで結果にすぎない」と考えられるあなたは、「けっきょく……でないと意味ない」というような考えかたをすることはないでしょう。
結果よりも、過程を大切にする人だと言えます。 列車旅行で言えば、目的地だけでなく、そこに至るまでの窓の外の風景、お弁当、乗り合わせた人との会話、陽ざしの変化、風、香り……さまざまな“今”を楽 しめる人です。
たとえ目的地に着くのが遅くなったとしても、かえって楽しみが増すくらいでしょう。
そういう考えかたは、人生を味わい豊かなものにします。その結果、満足度も高まります。周囲からは、「結果最優先」の考えかたを求められることもあるでしょう。でも、ぜひ自分の人生に関しては、今のように「あくまで結果にすぎない」という考えかたを忘れないようにしてください。 そうすれば、辛い結果になってしまったときも、そのときはへこんでも、ゆっくりと、でも必ず立ち直ることができます。


津田先生より
南極点に一番乗りしたアムンセンは、しかし、こう考えていたそうです。「子どもの頃から私が夢見てきたのは、北極点に一番乗りする自分の姿だった。それがどうだ。今私は、北極点から最も遠い地点に立っている。 世の中は、思うようにならないものだ……」
一方、南極点でノルウェーの国旗を見たときには絶望したスコットですが、遭難し、いよいよもう命も尽きるというとき、人生を振り返ってこう書き残しています。「私はこの冒険を悔いない。危険を侵したことは知っているが、物事にさえぎられたまでだ。私は満足している。良い人生だった」

スタッフより
スコット隊は一番乗りだけを心の支えに、極寒の中で頑張れたんだろうと思うと、そのガッカリぶりが目に浮かびます…。過程を味わうには南極は過酷過ぎでした。でも、もしも行きのびて帰ってきていたなら、またその経験が役に立つこともあったかもしれないと思うと残念です。それにしてもアムンセン、行動早すぎでしょ! 

(写真資料:wikipedia「Robert Falcon Scott」)