主人公の少年トマは、「自分は本当は隣りの金持ちの家の息子だ。赤ん坊のときに病院が火事にあったせいで、とりちがえられた」と思っています。
トマの父親は飛行機の操縦士で、隣りに住むお金持ちからの依頼で、嵐の夜に飛行機を飛ばし、事故で亡くなってしまいます。残された家族は生活にも困ります。
トマは、姉のアリスを愛しています。自分が弟ではなく、隣りの家の息子であれば、結婚だってできるはずなのです。しかしアリスは、まさにその隣り家の息子であるアルフレードとつきあい始めます。
トマは、自分の本当の家も、家族も、愛する女性も、すべてを横取りしたアルフレードを殺したいほど恨みます。
その思いは、老人になっても消えませんでした。老人ホームにいるトマは決心します。アルフレードを殺しに行くことを。

トマは心の中でつぶやきます。
「君は私の人生と愛を奪った。おかげで私の人生は空っぽ。
これということが何ひとつ起こらなかった人生だった。何一つ!」
自分のもののはずだった人生を、他人にとられてしまい、「本当の自分の人生」を生きることができなかったトマ……。

もしあなたがトマの立場だったとしたら、 どんなふうに生きたと思いますか?

A.「本当はもっといい人生を送れるはずだったのにと思うと、やはり自分の人生に満足できなくて、前向きに頑張る気力がわかないと思う」

B.「アルフレードが目の前で幸せそうにしていると、自分の不幸な人生をなかなか受け入れられないと思うから、なるべく遠くで暮らすようにして、そうすれば、だんだん忘れて、新しい生き方を見つけられると思う」

C.「とりちがえられたのは仕方がないし、アルフレードをうらやんだり恨んだりせず、今の自分の人生をせいいっぱい生きたと思う」

心が決まったら解説を読んでください。



このテストから学ぶテーマ
【人生脚本】を書き直そう!

「今の人生は、自分の本当の人生ではない」「今の自分は、本当の自分ではない」そんな思いにとらわれることは、誰でもあるのではないでしょうか?
トマのように、とりちがえられたと思っていれば、もちろんそうでしょうし、そうでなくても、
「入れるはずの学校に、入れなかった」
「入れるはずの会社に、入れなかった」
「結婚するはずの相手と、結婚できなかった」
「かなうはずの夢が、かなわなかった」
というようなときに、人は「自分の本当の人生」「本来の自分」を失ったように感じてしまいます。
そして、今まで歩いてきた人生の本道から、狭いわき道にそれてしまったように感じてしまいます。 本来の道が、すぐそばに、とても輝いて見えています。
本当は自分はそれを歩いていくはずだったのです。それなのに、今はわき道を進んで行くしかなくて、本道に戻ることができないのです。これでは、わき道を前向きに意欲的に進んで行くなんて、とてもできないでしょう。
たとえば、 子供の頃からヴァイオリン一筋で、ようやくプロになれそうなときに、手をケガして、もうヴァイオリンを弾けなくなってしまったとしたら、どうでしょう?
そんなとき、「私は本当はヴァイオリニストのはずなのに」と思わずにはいられないでしょう。それ以外の人生を元気よく生きていくことは、とても難しいでしょう。しかし、それでも人は生きていかなければなりません。「本当の人生」と言ってみたところで、それはもう手に入らないのです。「本当の人生」にこだわり続ければ、トマのように、老人になっても不満足なままになってしまいます。
では、いったいどうすればいいのか?
【人生脚本】という考え方があります。人は常に自分で脚本を書いたドラマの中を生きているのです。その脚本の中では、これから先のことまで描かれています。
たとえば、愛する人と出会うと、その人と一生一緒に生きていくという脚本が、心の中でできあがります。人間というのは、そのようにして、先のことまで思い描いて、それに沿って生きていこうとするものなのです。
未来をまったく思い描かないなどということは、むしろ不可能です。
そして、もし、思いがけずその人と別れることになってしまったら、「その人」を失うだけでなく、「その人と一緒に生きるはずだった人生」まで、同時に失うことになってしまいます。だから、とてもこたえてしまうのです。「本当の人生」を失って、空っぽになったような、むなしさを覚えてしまうのです。

しかし、本当にそうでしょうか? 「本当の人生」を失ったのでしょうか? 人生のわき道にそれてしまったのでしょうか? そもそも未来というものは不確定です。「本当の人生」と思っていたものは、自分で思い描いた【人生脚本】にすぎません。
人生は脚本通りには進みません。実際のドラマづくりだってそうです。いろんな都合で、シナリオ・ライターは何回も書き直しをさせられることがあります。
そう、【人生脚本】には、書き直しが必要なのです。
人生には必ず挫折があります。思いがけない出来事が起きます。
そのときが、脚本を書き直すときなのです。わき道にそれたのではなく、その新しい道を進んで行くための、新しい脚本が必要なのです。
昔、アベベという有名な陸上選手がいました。オリンピックのマラソンで、史上初の2大会連続金メダルという快挙を成し遂げました。しかし、自動車事故で、ある日突然、下半身不随となってしまいます。
走ることが人生であった人が、走ることができなくなってしまったのです。オリンピックのためのトレーニング以上に過酷なリハビリを受けますが、それでも回復しませんでした。
失意の底に落ちた彼でしたが、4年後には車いすのアーチェリー選手となってパラリンピックに出場しました。
「そんな偉人のマネはできない」と思うかもしれません。それはたしかにその通りです。「こんな偉い人がいたんだから、あなたも」と言われても困ってしまいます。
でも、かといって、トマのようでありたいとは思わないでしょう。トマが、「私の人生は空っぽ。これということが何一つ起こらなかった人生だった。 何一つ!」 ということになってしまったのは、「自分の本当の人生を生きていない」という思いにとらわれ続けたためです。
実際には、彼の人生にもさまざまな可能性がありました。もし彼が、目の前の人生をせいいっぱい生きたとしたら、決して空っぽの人生にはならなかったでしょう。
そもそも、わき道とか、本当ではない人生なんてものはないのです。わき道と思ってしまうから、その道がみすぼらしいものになってしまうのです。
「僕の前に道はない  僕の後ろに道は出来る」
これは高村光太郎の『道程』という詩です。「道の最端にいつでも僕は立っている」というのも、また彼の言葉です。
この言葉にあるように、私たちはつねに人生の道の先端に立っていて、「僕の前に道はない」のです。前に道があるように思っているのは、人生の脚本を知らず知らずのうちに書いてしまっているからにすぎません。それは決して本道ではないのです。
「脚本の書き直しはしない」なんて、大家のようなことは言わずに、新人のシナリオライターのように、何度でも書き直しをするつもりで、人生に挑んでみてください。
そうすれば、自分が進みたい方向とは別の方向に人生が進んでしまったとしても、その先に必ずまた新しい満足できる人生を見出すことができます。
<賢者の答え>

A「本当はもっといい人生を送れるはずだったのにと思うと、やはり自分の人生に満足できなくて、前向きに頑張る気力がわかないと思う」をもっともだと思ったあなたは……
あなたがそう思うのは、とても自然なことですし、人間味のあふれる考え方です。
ただ、望む通りの人生をいつまでもずっと送ることができる、などということはほとんどありません。
人生には思いがけない出来事がつきものです。そのときに、ガッカリしてしまって、もう人生がダメになったように感じてしまうとしたら、これはとても、もったいないことです。
世の中には、自分の希望する大学に入れなかったり、希望する会社に入れなかっただけで、自殺する人もいます。
しかしそれは、人生をみくびりすぎています。人生は、もっともっと豊かなものです。ひとつの脚本がボツになっても、まだまだたくさんの脚本を書く余地があるのです。ぜひそのことを忘れないでください。もし「本当の人生を失った」と感じるようなことが起きたとしても、それはじつは「ひとつの脚本を失った」にすぎないのです。
あなたはいつでも人生の道の先端に立っています。どういう道ができるかは、これからあなたが決めることなのです。

B「アルフレードが目の前で幸せそうにしていると、自分の不幸な人生をなかなか受け入れられないと思うから、なるべく遠くで暮らすようにして、そうすれば、だんだん忘れて、新しい生き方を見つけられると思う」をもっともだと思ったあなたは……
あなたは、「本当の自分の人生を失ってしまった」と思うような出来事があったとしても、必ず立ち直れる人です。ただし、立ち直るまでには時間がかかるでしょう。落ち込む期間が長くあるかもしれません。
でも、それを怖れることはありません。落ち込む期間は、たんなるムダな時間ではありません。立ち直るための力を蓄え、新しい【人生脚本】を書くための構想を練る時間なのです。
いわば、サナギのような状態です。どこにも進めないようでいて、じつは先に進むために欠かせない期間です。立ち直ったときには、今度は「あれほど落ち込んでいたのに、立ち直った自分」というものに、罪悪感を覚えることがあるかもしれません。しかし、それもまた気にすることはありません。
あなたは新しい脚本のドラマの中に入っていったのです。昔の脚本にとらわれるのはむしろおかしなことです。新しいドラマの中では、新しい役を演じるのが当然なのですから。大切なのは、つねに自分の気持ちに素直に、落ち込むときは落ち込み、立ち直るときには立ち直ることです。それができれば、あなたは何があっても前に進んでいけるはずです。

C「とりちがえられたのは仕方がないし、アルフレードをうらやんだり恨んだりせず、今の自分の人生をせいいっぱい生きたと思う」をもっともだと思ったあなたは……

あなたは【人生脚本】の名シナリオ・ライターです。前に書いた脚本にこだわることなく、すぐにボツにして、次の新しい脚本に夢中になることができます。これはなかなかできないことです。周囲からは、変わり身が早いようなことを言われてしまうこともあるかもしれません。たとえば、「あんなにあの人のことを好きだって言っておいて、今度はもうこの人が好きなの?」などと。
でも、未来が確定していないのが人生であり、目の前の道をつねに全力で歩いていくことこそが、自分にできる最善のことです。行こうと思っていたほうに行けなければ、別の方向に進んで行くのは当然です。問題なのは、自分の脚本にすぎない幻想の道にこだわり続けて、歩くことをやめてしまう、あるいはいやいや歩いてしまうことです。
それだけは避けなければなりません。いい人生だったと後ろの道を振り返ることができるのは、何度も【人生脚本】を書き直して、その都度、目の前の道を「本当の道」だと思うことができた人なのです。
これからも、ぜひ名シナリオ・ライターでいてください。


津田先生より
余談 今回の話題は、じつは他人事ではありません。私は大学生のときに病気をして、進路を大きく変えざるを得ませんでした。 それ以来、「病気にならなかった場合の自分の人生」というものを、つい思い描いてしまって、そちらが素晴らしく輝いて見えて、病人としての人生が辛くて、なかなか受け入れることができませんでした。
しかし、今はこうして原稿を書いたりしています。思いもかけない人生ですが、今はこれが自分の人生だと思えています。 「病気にならなかった場合の自分の人生」などないということも、今は納得できています。でも、時間がかかりました。
ですから、今回の内容も、すぐには納得できない人も多いかもしれません。 でも、心のすみにでもとめておいてもらえたら、いつかふと思い出していただいて、それがお役に立つこともあるかもしれません。 そんな気持ちで書きました。