最近は、「トラウマ映画」とか「トラウマ絵本」とかが話題になっています。もちろん、ここで言う「トラウマ」というのは、深刻な意味ではなく、「幼い頃に読んで、心にずっと残るほどの衝撃を受けた」という意味です。
今回、ご紹介する作品も、トラウマ児童文学として有名なものです。「小学校のときに読んで、マジでトラウマになった」というようなネットの書き込みも目にしたことがあります。私は大人になってから読んだのですが、大好きです。児童文学はこうあってほしいとさえ思います。
『おとうさんがいっぱい』三田村信行
これは、こんなお話です(心理テストにするため、少し変えてあります)。

主人公の少年の名前はトシオ。ある日、トシオのおとうさんが三人に増えてしまいます。
見た目はみんな同じ、おとうさんです。どれも本物のおとうさんなのです。
おとうさんたちは、「自分が本物だ」と大げんか。 これはトシオの家だけでなく、他の家でも同じことが起きていました。 日本中におとうさんがいっぱいになってしまったのです。
あわてた政府は、事態の収拾をはかります。 おとうさんを各家庭に一人だけ残して、他は政府が引き取る(処分する)ことにしたのです。

どのおとうさんを選ぶかは、家族が決めます。 おかあさんはショックで倒れてしまったので、トシオが決めることになります。 おとうさんたちは、トシオに選んでもらうために、ご機嫌をとったりします。 好きなおとうさんを選ぶことができる権利を手にしたトシオは……。

さて、もしあなたがトシオだったら、
三人のおとうさんの中から、どうやって一人を選びますか?

A.やっぱり、自分にいちばんよくしてくれるおとうさんを選ぶ
B.逆に、こっちのご機嫌をとったりしないおとうさんを選ぶ
C.アミダクジとかで決める

心が決まったら解説を読んでください。



このテストから学ぶテーマ
「愛情に"条件"をつけない」
この愛情は【条件付きの愛情】なのか【無条件の愛情】なのか?

トシオがどうやって選んだかは、ぜひ本を読んでみていただきたいと思います。
ともかくも、トシオはひとりのおとうさんを選びます。あとの二人のおとうさんは政府に連れて行かれます。 おとうさんが一人になって、またいつものような平和な日々が戻ってきます。
ところがある日、玄関の戸が開く音がしたので、トシオが出てみると、そこには靴を脱ごうとしている自分がいたのです!
つまり、今度はトシオが増えるというラストです。「選ぶ側」だったトシオが、今度は「選ばれる側」になってしまうのです。この恐ろしいラストに、トラウマになった子供たちがたくさんいたわけです。
心理テストでは、「選ぶ側」として回答していただきました。でも、これが「選ばれる側」だったとしたら、答えはかなりちがってくるのではないでしょうか?
「選ぶ側」のときは、自分の都合だけで選んでも、「選ばれる側」になったときには、相手の都合という一面だけで判断されるのはたまらなくて、もっとトータルな自分として判断してほしいと願うのではないでしょうか。
実際、「あんな人と友達でいても、あなたにいいことないよ。マイナスなだけなんだから、切ったほうがいいよ」というような言葉を耳にします。自分にとってプラスではない相手は切り捨て、プラスな相手とだけつきあおうとする傾向があります。
「それは当然なことなのでは? マイナスな人とつきあう必要なんてどこにあるの?」と思うかもしれません。
でも、もし自分が切られる側だったらどうでしょうか?「プラスな存在になるように努力すればいいんだよ」という人もいます。 でも、プラスとかマイナスとかって、何でしょう?
それは相手の都合にすぎません。
相手にとって都合のいい人間になるために努力するなんてことは、とても自分のためにはならないでしょう。他人に対してだけではありません。自分自身に対しても、「私は容姿が劣っているから嫌い」とか「私は勉強や仕事ができないから嫌い」とか、そんなことで自分を嫌う人がいます。「自分にとって、自分は都合が悪いから嫌い」ということです。
そんなふうに、都合のよしあしで人を判断していいのでしょうか? 好きになったり嫌いになったりしていいのでしょうか?
「好き嫌いは自然な感情だから仕方ない」という人もいます。しかし、自然な感情が、そんなふうにソントクで決まっているとしたら、なんとも味気ないことです。
「○○だから好き」「○○だから嫌い」というような評価の仕方を【条件付き愛情】と言います。親が子供に【条件付き愛情】で接した場合、子供は健全に育ちにくいと言われています。条件を満たさなければ愛されないというのは、子供にとっては怖ろしいことです。
これは親子関係に限りません。 恋人関係でも、「○○だから好き」と理由を言える場合には、長続きしにくいことがわかっています。「なんとなく好き」などと、理由が言えないほうが、じつはたしかな愛情なのです。それはなぜかと言えば、【無条件の愛情】だからです。
親子関係でも、恋人関係でも、友人関係でも、【条件付き愛情】ではなく、【無条件の愛情】で接することが大切です。相手が自分にとってプラスだからではなく、プラスとかマイナスとかは関係なしに、なんとなく好きだから大切にする。そういうところがなくては、人間らしいつきあいとは言えません。
条件だけで人を切っていれば、いつかトシオのように今度は自分が切られます。
それでも、他人は【条件付きの愛情】でしか接してくれないこともあるでしょう。そんなときでも、少なくとも自分自身に対してだけは、【無条件の愛情】で接するようにしましょう。
「自分は自分だから好き」というところがなくては、自分がかわいそうすぎます。
逆に言えば、自分に【無条件の愛情】を持つことができれば、それがあなたの心の支えとなり、他人にも【無条件の愛情】を持つことができるようになります。
「この愛情は【条件付きの愛情】なのか【無条件の愛情】なのか?」と、考えるようにしてみてください。そして、もし条件付きなら、ぜひその条件を外すようにしてみてください。いろんなことがちがってくるはずです。少なくとも、ぎすぎすした人生を生きずにすむはずです。

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<賢者の答え>

A「自分に一番、良くしてくれるおとうさんを選ぶ」と思ったあなたは……
あなたは【条件付き愛情】で人に接してしまうところがあるのではないでしょうか。
もちろん、わざとではないでしょうし、悪意もないでしょう。
たとえば、自分をガミガミ叱る上司は、「ガミガミ言うから嫌い」と思うのが当然ですし、やさしくしてくれる上司に対しては、「やさしくしてくれるから好き」というのが当然です。
上司のように、ある一面でのみつきあう相手の場合は、まだ仕方がないかもしれませんが、家族とか恋人とか友達とか、もっと深くつきあう相手の場合は、「○○だから好き」「○○だから嫌い」という考え方をしないように、好きな理由や嫌いな理由を考えないように心がけてみてください。
「家族だから好き」 「恋人だから好き」「友達だから好き」「なんとなく好き」という気持ちが大切なのです。
よく「動物の愛情は信頼できて癒される」というようなことを言います。これは動物の愛情は【無条件の愛情】だからです。
飼い主のほうだって、最初は「かわいいから好き」という動機で飼い始めたとしても、ペットとのつきあいは、食事、ふん尿、病気と、どうしても親身でトータルなものになります。
そうすると、ヘンな表情が愛おしかったり、欠点がかえって魅力だったり、ヘマをするとよけいに愛情がわいたりしてくるものです。
もはや「○○だから好き」ということではなく、ただ「好き」ということになってきます。
人間が相手でも同じことです。相手に本当に興味を持つようにすれば、愛おしくなってくるものです。長所や欠点もまるごとひっくるめて、「なんとなく好き」 になるものです。
こちらがそういう【無条件の愛情】で接すれば、相手もまた同じ愛情を示してくれるようになります。もろちん、全員ではありませんが、そういう人が出てきます。そういうつきあいこそ、本当に人間らしいつきあいと言えるのではないでしょうか。

B「逆に、こっちのご機嫌をとったりしないおとうさんを選ぶ」 と思ったあなたは……
あなたは【条件付き愛情】に反発を感じるほう。たとえ「好き」と言われても、それが「○○だから好き」という理由だと、「じゃあ、○○ではなくなったら、好きではなくなるのか?」とつい思ってしまうのではないでしょうか。
たとえば、「キレイだから好き」と言われれば、「キレイでなくなれば好きではなくなるのか」とか、「元気なところが好き」と言われれば「落ち込んでいるときは魅力がないと思われてしまうのか」とか。
また、「自分にはこういう長所があるよ」「自分とつきあうとこういうトクがあるよ」と売り込んでくる人にも、なんとなくうさんくささを感じてしまうでしょう。
ソントクで人とつきあうということ自体に、それはちがうと感じるところがあるはず。
そのせいで、ソンをすることもあるでしょう。トクをしそこなうこともあるでしょう。でも、それは大きな目で見れば、決してソンではありません。
【条件付き愛情】は結局、いつかは自分が切り捨てられる側になってしまうものだからです。
ただ、人には【無条件の愛情】を向けられても、自分自身に対してだけは、「こういうところがあるから好きではない」などと、【条件付き愛情】で接してしまってはいないでしょうか?
自分自身に対してでも、人と同じことです。自分の都合だけで好き嫌いを言うべきではありません。「自分は自分だから、無条件に好き」という気持ちを持って、それを大切にしてください。

C「アミダクジとかで決める」と思ったあなたは……
自分で選ぼうとすれば、どうしても「選ぶ基準」が必要になります。そして、「選ぶ基準」には、自分のさまざまな考えや感情が入ってきてしまいます。相手も 「その基準は納得できない」と思うかもしれません。
アミダクジなどで選べば、そこには自分の意志や感情の入る余地がありません。いちばん公平なやり方でもあります。相手も文句の言いようがありません。
でも、選ばれる側に立って考えてみてください。アミダクジで決められるのは、なんだかイヤではないでしょうか? なぜイヤなのか? 
それはあまりにも理性的だからです。
あなたは、愛情の問題に関しても、理性を交えて考えるほう。
「好きなんだから、理屈抜き」とはならず、「好きだけど、こういう理由があるなら、好きになるべきではない」などと理性でコントロールができるほうでしょう。
それは悪いことではありませんが、相手をさびしい気持ちにさせてしまうことがあります。
愛情に理性を交えることは、【条件付き愛情】とまではいかなくても、【無条件の愛情】ではないからです。
理性を交えることは、愛情だけで判断することから逃げてしまっているというふうにも、相手には受けとめられてしまいがちです。アミダで決めることが、自分で決めることの責任から逃げているようにも感じられるように。
理性的でいられるのは素晴らしいことではあるのですが、愛情問題に関してだけは、理性を働かせずに、ただ【無条件の愛情】で接するように、心がけてみてください。
相手はそのほうが喜んでくれるはずです。

津田先生より「 子供向けの本は、“心あたたまる”ようなものだけではダメで、この『おとうさんがいっぱい』のように、トラウマ本と呼ばれるようなものも必要だと思ってい ます。
心あたたまる本だけでは、いつもベッドでぬくぬく寝ているようなものです。やっぱり、登った木から落ちたり、水たまりに倒れ込んだりするような体験も、生きていくためには必要です。
世界中にある昔話も、その多くは子供に読ませていいのかと思うほどの残酷さや怖ろしさを持っています。しかしそれは、読者の興味をひきつけるための、刺激としての残酷さや怖ろしさではなく、現実そのものの残酷さや怖ろしさで、それは知っておくほうがいいのです。
山に登るときには、山頂の爽やかさだけでなく、茂みにいるかもしれない毒ヘビについても知っておいたほうがいいように。
三田村信行さんの児童文学は、他の作品もおもしろいですよ」

みなさんはどの選択項目を選びましたか? スタッフは「選ぶなんてとてもできない…!」と悩みましたが、悩んだ末に一番感情のこもらないCの“アミダクジ”を選んでしまいました。でも、解答編を読むと、自分が選ばれる立場だったら、確かにアミダクジはヒドイよ…と反省してしまいました。自分の中にもっと良い部分があるのをわかってもらいたくても、クジではずれたらバッサリ葬られるのです。そりゃないよ…。それよりも、一生懸命悩んで考えてもらって、責任を持って選んでもらうBのほうが良かったなあ~と思いました。でも、これはあくまでも個人の意見ですので、みなさんはいかがでしょう?

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