三人の男が、地獄温泉の近くに宿をとって、さっそく湯を見に行ってみると、 熱湯がたぎっている地獄湯がありました。 一人の男が、おそるおそるその湯に指を少しつけてみます。
「そんなに熱くないぞ」と男は意外そうに言います。
ところが、指を湯から抜くと、
「熱い!」男は叫びます。
熱くてたまらず、また指を湯の中に入れます。そうすると、熱くなくなります。
もう一度、おそるおそる指を抜くと、ますます熱さが増して耐え難く、今度は手首まで湯にひたしてしまいます。
そうして、だんだん湯に深く入れていくことになってしまい、ついには腕をすべて湯に突っ込んだ状態に。
抜こうとすれば、熱くてどうしても耐えきれず、
さらに深く入っていくばかりで、ついには頭だけ出して、全身を湯の中につけることに。
湯に入っていれば、とても心地いいのです。しかし、出ることができません。男は悲しみ恐れ嘆きながら、とうとう湯の中に沈んでいってしまいます。
残った二人はどうすることもできず、 泣く泣く宿に帰っていきました。

宿で、同宿の旅人たちにこの話をすると、
旅人Aはこう言いました。「そもそも指なんかつけるからいけないんだ」
旅人Bはこう言いました。「手までつけたくらいで、これはマズイと気がついて、どんなに苦しくても、手を抜くべきだった」
旅人Cはこう言いました。「自分もそういうときは、ちょっと指をつけてしまうほうなんだ……」
あなたはどう思いますか?

心が決まったら解説を読むんでください。



このテストから学ぶテーマ
「行きはよいよい、帰りはこわい…」

とても変わったお話です。
煮えたぎっているお湯に手を入れても熱くなく、でも、手をお湯から出すと、熱いとは。
不思議でわけのわからない話とは感じながらも、でも、何かひきつけられたり、面白いと感じる人が多いのではないでしょうか? それは、たんに、「熱湯に手をつけたら熱くて、出したら熱くなくなる」というあたり前のことを、逆転させているからでしょうか?
ただ逆にしてみたというだけなら、そんなにひきつけられませんよね。
このお話が何か心にひっかかって、忘れがたい味があるのは、現実にこういうことがよくあるからではないでしょうか?
たとえば、いきなり極端な例ですが、麻薬について考えてみましょう。麻薬が危険ということは誰でも知っています。でも、ちょっとだけ手を出してみたくなる人がいます。少しくらいなら大丈夫だろうと。そして、実際に「思っていたよりたいしたことない」と感じたりします。
「これなら平気」だと。
ところが、いざやめようとすると、とても不快になってしまう。それで、ついまた続けてしまう。
もういい加減、本気でやめなければ危ないと感じだした頃には、もうやめようとしても苦しくて苦しくて、とてもやめられない。ついには命にかかわることが自分でもよくわかっているのだけれども、それでもやめれば禁断症状が出て耐えられないので、そのまま沈んでいってしまう……。
麻薬に限らず、 アルコール、ギャンブル、買い物など、【依存症】の多くはこのようにしてハマってしまい、抜け出せなくなりがちです(別のケースも、もちろんありますが)。
危険ということはもともと知っているのに、「でも、それで気が晴れるのかな?」と逆に興味を抱いてしまい、「ちょっとだけ試してみよう。危なそうになったらやめればいいし」と手を出す。
そして、地獄湯のようなことになっていく……。
依存症までいかないレベルなら、多くの人がそういう体験をしているでしょう。
「良くないな」とは思いながら、 何かにハマってしまって、抜け出せなくなる。
では、どうしたら、そうならずにすむのでしょうか? 好奇心でつい手を出してしまう、これはどうしてもあることでしょう。やめると苦しいから、続けてしまう、これも仕方のないことでしょう。だとしたら、どうしようもないのか?
これは、ヒドイ言い方かもしれませんが、やはり、すでに同じ失敗をしてしまった人のことをよく知って、同じ道をたどらないように教訓にするしかありません。
地獄湯に沈んでいった仲間を見た二人の男は、地獄湯に指をつけるようなことは、もう決してしないでしょう。
何かアブナイとわかっているものに手を出したくなったときは、 この地獄湯のお話を思い出してみてください。
<賢者の答え>

旅人A「そもそも指なんかつけるからいけないんだ」
→この意見をもっともだと思ったあなたは……
そもそも危険なものに手を出さなければ、それはもちろんいちばんいいでしょう。
でも、人間、なかなかそうはできないものです。 ただ、あなたはかなり自分を律することができるほうでしょう。 依存症にはなりにくいタイプと言えます。
それはとても立派なことです。
ただ、その立派さを、周囲の人にまで求めてしまうと、反撥(はんぱつ)を招くこともあります。「あなたの言うことは正しいけれど、正しすぎる」というふうに思われてしまうこともあるかもしれません。
また、自分を厳しく律しすぎると、やわらかい柳の枝より、かたい木の枝のほうが折れやすいように、強いストレスがかかったときに逆にもろい場合もあります。
人間の弱さを、他人に対しても、自分にも対しても、ある程度は受け入れてあげましょう。
その上で、なおかつ、指をつけずにすめば、それがいちばんいい状態です。
「私だって、指を入れてしまうかもしれないし、指を入れてしまう人のこともよくわかる。でも、だからこそ、私は指を入れないように気をつける」 そういうふうに思えれば、実はそれが一番、依存症になりにくい強さなのです。

旅人B「手までつけたくらいで、これはマズイと気がついて、どんなに苦しくても、手を抜くべきだった」
→この意見をもっともだと思ったあなたは……
「マズイと思ったら、やめればいい」これはすごくもっともな意見なのですが、じつはとても危険な考え方です。
というのは、マズイと思ったときには、もうやめられないものだからです。
依存症の人の多くは、「いざとなったらやめればいいんだから」「やめさえすれば大丈夫」と考えています。 そして、この考え方こそが、深みにハマる原因なのです。
「マズイと思ったときにやめるべきだった」と忠告しても、それは当人もそう思っていたはずなのです。
人間はそんなに強くありません。いざとなればやめられる、とはいかず、いざとなったときにはもうやめられません。
弱さを認めたうえで、最初から注意をしていくべきです。 自分に対しても、そして人に対しても。 この考え方が危険と知っておくだけで、すごくちがってきますから、ぜひ心にとめておいてください。

旅人C「自分もそういうときは、ちょっと指をつけてしまうほうなんだ……」
→この意見をもっともだと思ったあなたは……
好奇心や挑戦というのは、とても大切なことです。
危険かもしれないからといって、山の向こうに行かなかったら、いつまでも新しい世界を切り開けません。
しかし、すでに他の人が試して、よくない結果になるとわかっているのに、それでも好奇心で手を出してしまうのは、適切とは言えないでしょう。
ただ、あなたの場合は、自分の弱さをよく自覚しています。 「やってしまうかも」と自分の弱さを自覚している人は、意外にやってしまわずにすむものです。
誘惑に最初から近づかないように気をつけるからです。
これからも、好奇心や挑戦は大切にしながら、でも自分の弱さは忘れないようにして、危険と向き合ってください。


いかがでしたか? 今回のお話はとても興味深く、しかも恐ろしいと感じてしまいました。先生の解説の中の【「良くないな」とは思いながら、 何かにハマってしまって、抜け出せなくなる】というのは、スタッフ自身とても心当たりがあります。やめようやめようと思いながら、「ちょっとだけ」と、夜中にお菓子を食べるのをやめられなくなっているからです…。「ダメだとわかっていても、やめられない」ということは、身近にもけっこうある気がします。改めて、自分自身の弱さに目がいき、反省させられる内容でした。

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