江戸落語には与太郎(よたろう)という登場人物がよく出てきます。
間が抜けていて、失敗ばかりしますが、 のんきで明るく、愛されキャラです。 これもその与太郎さんが主人公です。
与太郎のお母さんが亡くなって、継母(ままはは)が家にやってきます。ところが、この継母が与太郎をひどく憎んで、 ぶつ、つねる、蹴飛ばす、ひどい目に合わせます。 とうとう責めに責めて、責め殺してしまいました。ぼんやりして何にも気にしないような与太郎でも、 さすがに悔しかったらしく、 毎晩化けて出るようになりました。
ところが、自分の家に出ないで、 近所のいろんな人の家に出てきます。

「昨日の夜、俺のところに出たよ。与太郎の幽霊が」
「わたしのところには、一昨日よ」
「こっちは3日前だ」
「こんなに化けて出るところをみると、よっぽど恨めしいんだろうなあ」
「だけど、恨めしいんなら、自分の家の、あの継母のところに出ればいいじゃないか。 なんだって、よその家にばかりに出るんだ?」
これに対して、 熊さんは、こう言いました。
「ははは、そこがうっかり者だからよ」
八っつぁんはこう言いました。
「どれだけ継母を恨んでいるか、俺たちに知ってもらいたいんじゃないかな」
横町のご隠居さんは言いました。
「継母が怖くて出られないんじゃないかい」
あなたは、どの意見にうなずきますか?

心が決まったら解説を読んでください。




解説を読むこのテストから学ぶテーマ
「八つ当たりの心理」

以前、女性に危害を加えようとしかけた男性に、直接、理由を問いただしたことがあります。(事件は未遂に終わって、何も起きておらず、誰も傷ついていません)
「なぜ女性に危害を加えようとしたんですか?」
「女性からひどい目にあわされたからです」
「でも、襲おうとしたのは、あなたをひどい目にあわせた女性ではないですよね?」
「ちがいます。ぜんぜん知らない女性です」
「復讐するのなら、なぜ自分をひどい目にあわせた女性を狙わなかったんですか?」
「その女性のことは怖いんです。とても手が出せません。それで、別のやさしそうな女性をねらいました」
そういう心理があることはわかっていましたが、直接に聞いたのは衝撃的でした。やさしい女性にしてみたら、たまったものではありませんね。
Aさんからひどい目にあわされて、その復讐をBさんにする。
ちょっと聞くと、わけがわからなく思えますし、「異常な人の異常な心理だ」としか思えないでしょう。しかし、実際には誰の心にも少しはこういうところがあります。
「そんなバカな! 自分はそんな人間ではない!」と言わずに、ちょっと思い出してみてください。

どこかでイヤなことがあって、関係ない人にやつあたりしたことはないでしょうか?
学校でイヤなことがあって、家で親に不機嫌な態度をとったり。
会社でイヤなことがあって、ネットに攻撃的な書き込みをしたり。
あいつめーと思いながら、石を蹴ったくらいのことは、たいていの人にあるのではないでしょうか。
こういう心理を【攻撃動因の変容性】と言います。
怒りや不満がたまると、それを発散するために、攻撃行動が起きます。そのとき、攻撃の対象が、怒りや不満の原因と無関係であっても、ちゃんと発散になってしまうのです。

これはとても怖ろしいことです。
自分の人生がうまくいかないからといって、無関係な人を攻撃するということが起きてしまいます。
いじめ、通り魔、移民への攻撃……。
その背景には、こうした心理が隠れています。
いろいろ理屈をつけて相手が悪いように言いますが、実際には別の理由でたまった攻撃衝動のはけ口にしているにすぎないことがあるのです。
はけ口にされてしまう、無関係な人は、たいてい社会的弱者です。
女性、子供、社会的少数者……。それも、やさしい人や、おとなしい人がねらわれてしまいます。

人に何かして、その仕返しなら、まだ覚悟もあるでしょう。しかし、何もしていないのに、無理矢理、ツケを払わされてしまうことがあるのです。
そういうことをなくすためには、どうしたらいいのでしょうか?
ようするに、「八つ当たりしない」ということです。まるで子供への注意のようですね。
でも、大人でも、これがなかなかやめられないのです。しかも「八つ当たりではない」と理屈をこねながら。
八つ当たりせず、攻撃で発散しようとせず、本当の問題の解決を目指す。難しいことですが、これしかありません。あとは、攻撃衝動を、スポーツや芸術など、別のことで昇華するか。
八つ当たりは負の連鎖です。そのことを心にとめておいていただければと思います。
<賢者の答え>

熊さん「ははは、そこがうっかり者だからよ」
→この意見をもっともだと思ったあなたは……
じつは本来の落語のオチはこれです。うっかり者は死んでもうっかり者で、しょうがないなーという笑いなわけです。
たしかに、与太郎のようなうっかり者なら、化けて出るときにまで、別の家に出るようなうっかりをしてしまうかもしれません。
そんなふうに思えるあなたは、物事を素直に受けとめて、不可解な点があっても、あまりこだわらないほうでしょう。それは前向きに明るく生きていくための力になります。
ただ、ときには、「もしかしたら、別に深い理由があるのかも」と考えてみると、相手のことがもっとよく理解できるかもしれません。
与太郎の場合も、もし継母が怖くて、自分の家に化けて出られず、他の家に出ていたのだとしたら、これは笑い事ではありません。与太郎が哀れですし、他の家に出てしまう人の心の弱さに考えさせられます。
「他人の不可解な行動の奧には、じつは何か理由が隠されているかもしれない」…そういう思いも心のどこかに持っていると、周囲の人の別の面も見えてくるかもしれませんよ。

八っつぁん「どれだけ継母を恨んでいるか、俺たちに知ってもらいたいんじゃないかな」
→この意見をもっともだと思ったあなたは……
与太郎が自分のつらい気持ちをみんなにわかってもらおうとしているのであれば、まだ前向きな行動と言えます。理解してもらえることで自分の気持ちを納得させようとしているのですし、近所の人たちの力で継母に改心をさせようというのなら、それも問題解決のための建設的な努力と言えます。
そんなふうに思えるあなたは、自分の問題とちゃんと正面から向き合える人でしょう。
ただ、世の中には、もっと心の弱い人もたくさんいます。問題と向き合うことの苦しさから逃れるために、関係のない人に八つ当たりをしてしまう場合も少なくありません。
そういう、人の心の弱さも理解しておかないと、思いがけない八つ当たりにびっくりしてしまうことにもなりかねません。
自分はそういう弱さに染まることなく、でもそういう人がいることは理解する。難しいことですが、人間関係をうまく継続していくために必要なことです。

横町のご隠居さん「継母が怖くて出られないんじゃないかい」
→この意見をもっともだと思ったあなたは……
この落語を聞いたとき、私もそんなふうに思いました。素直に「うっかり者の与太郎」を笑う噺(はなし)なわけで、うがちすぎとも思いましたが。
ただ、笑うだけの噺にしては、あまりに継母がひどい。そして、与太郎は1回だけでなく、何回も近所の人に家に出ています。
ひどい目にあわされた継母のところには怖くて化けて出ることができず、でも恨めしい気持ちは抑えようもなく、つい近所の人たちのところに化けて出てしまったのかもしれません。
でも、これはとても悲しいことです。与太郎も哀れですし、与太郎に同情的な近所のやさしい人たちを、与太郎が脅かしてしまうところも、やりきれないものがあります。
そういう場合を考えてしまったあなたは、人の心の弱さへの理解が深いと言えます。理解せざるをえないような出来事があったのかもしれません。
自分の中のそういう弱さも自覚できているということで、それだけにかえって、そういうことをしないよう、心がけてもいることでしょう。
弱くて悲しいのが人間ですが、同時にいとおしい存在でもあります。そのことも忘れないでいただければと思います。


落語というと、どうも「笑える話」が多いように思えるのですが、よく考察することで、その裏にある悲しさやこっけいな部分など、人間らしい味わいがあるのかもしれません。
津田先生「この落語は、短いので、小話として、落語の枕で語られることがよくあります(*枕というのは、本編に入る雰囲気を作るための前フリのようなものです)。CDでは、昭和の名人と言われた六代目三遊亭圓生の『圓生百席(32)錦の袈裟/猫怪談/鼠穴』(ソニー・ミュージックエンタテインメント)の「猫怪談」の枕で聴くことができますよ」。
津田先生は落語が大変お好きで、取材のときに語らせたらとてもアツイです(笑)。心理学的にも、参考になりそうなお話が多いので、私も一度ちゃんと聞いてみたいなあ~と思ってしまいました。