古代インドの説話より。
まだ若い女性、メーダーヴィニーが、突然、病気で亡くなりました。
彼女には3人の求婚者がいました。マニダッタ、ミトラーヴァス、シュードラカです。
彼らがあまりにもメーダーヴィニーを愛していたので、誰かひとりの嫁にすれば、他の二人が死んでしまうのではないかと心配して、メーダーヴィニーの父はこれまで娘を結婚させずにいたのでした。
マニダッタ、ミトラーヴァス、シュードラカは、最愛の人を喪(うしな)って、この世の終わりのように嘆き悲しみました。
そして、マニダッタは、メーダーヴィニーの菩提(ぼだい)を弔(とむら)うために、全財産をなげうって盛大なお葬式をしました。
ミトラーヴァスは、メーダーヴィニーの死を受け入れられず、死者をよみがえらせるための秘薬を求めて旅に出ました。
シュードラカは、メーダーヴィニーの亡骸が焼かれた灰の上に突っ伏して、いつまでも泣き続けました。
しかし、年月が経ち、ミトラーヴァスはついに、死者をよみがえらせることのできる秘薬を見つけてきました。メーダーヴィニーの灰にその秘薬をふりかけ、呪文をとなえると、煙の中から、元気なメーダーヴィニーの姿が!
みんなは歓喜の声をあげました。
ところが、また問題が起きました。生き返ったメーダーヴィニーは、3人の男たちのいったい誰と結婚すべきなのか?

マニダッタは主張しました。
「このマニダッタは全財産を投げ打って、メーダーヴィニーの菩提を弔った。魂が無事に戻ってこられたのはそのおかげだ。このマニダッタこそメーダーヴィ ニーの夫にふさわしい!」

ミトラーヴァスは主張しました。
「メーダーヴィニーがよみがえったのは、おれが秘薬と呪文を持ち帰ったからこそだ。おれこそがメーダーヴィニーの夫にふさわしいに決まっている!」

シュードラカ は主張しました。
「私ほどメーダーヴィニーの死を悲しみ続けた者がいるでしょうか。私こそメーダーヴィニーの夫にふさわしいでしょう」

メーダーヴィニーの父は困ってしまって、「わしにはとても判断がつかん。こうなったら、ラーマ様におうかがいをたてるしか仕方がない」と、偉い僧侶に判断 をあおぐことにしました。
さて、もしあなただったら、メーダーヴィニーの夫にふさわしいのは、3人のうちの誰だと思いますか?

心が決まったら解説を読んでください。


このテストから学ぶテーマ
「悲しい別れの乗り越えかた」

ラーマ僧侶はこう答えました。
「菩提を弔ったマニダッタは、メーダーヴィニーの子供のような存在である。菩提を弔うのは子供の勤めであるから」
「メーダーヴィニーをよみがえらせたミトラーヴァスは、メーダーヴィニーの父親のような存在である。命を与えるのは父親の役目であるから」
「メーダーヴィニーの灰を抱いて泣き続けたシュードラカこそ、メーダーヴィニーの夫である。それはまさに愛する者のすることであるから」
古代インドの説話は、喪った者を思って泣き続けることを、肯定しているのです。 この裁定を意外に思った人も多いのではないでしょうか。
現代では「泣き続けてばかりいてはよくない。死んだ人もそれでは悲しむよ」などと言われます。
「元気を出して」「明るい気持ちで」「ポジティブに」などと言われます。もちろん、それは間違ってはいません。 いつまでも嘆き、泣き続けていたのでは、身体も心もこわれてしまいかねません。しかし、あまりすぐに立ち直ろうとしすぎることも、また危険なのです。
【遅延化された悲嘆】という言葉があります。 悲しみをこらえて、気持ちを無理に抑え込んでしまうと、もう平気と思っていても、1年後や2年後になって、とても強い悲しみに急におそわれることがあるのです。
これには自分自身が驚いてしまいます。「なぜ今頃になってまた!?」と。 そして、「やっぱり私はあの人なしでは生きていけないのでは?」と思い込んでしまいがちです。 これは精神的にとても危険です。うつ病の引き金になってしまうこともあります。

悲しい出来事があったとき、無理に明るくしようとせずに、まずはとことん悲しむ。そのほうが、【遅延化された悲嘆】におそわれずにすみます。 悲しむこともまた大切なのです。
そして、悲しむだけ悲しんだら、【喪の作業(モーニング・ワーク)】を行いましょう。 最近は「葬式はしなくていい」と遺言する人も増えていますが、じつは、お葬式は死んだ人のためのものではありません。残された者たちにとって必要なものなのです。 別れの儀式をきちんと行うことは、悲しい出来事を受け入れて、さらに生き続けていくために必要であり、とても大切なことなのです。
死別以外の、たとえば恋人との別れの場合にも、【遅延化された悲嘆】がやってくることがあります。そうならないようにするには、その人の思い出の品を捨てるなど、自分なりの【喪の作業】をやっておくことが大切です。 昔は失恋すると、相手からの手紙を焼いたりしましたが、じつに適切な行動だったのです。

ギリシャの7賢人のひとりにこんなエピソードもあります。
その人は子供を亡くしてしまって、ずっと泣き続け、嘆き悲しんでいました。 みかねた人が、「賢人らしくもない。泣いたって、どうにもならないでしょうに」と忠告すると、賢人はこう答えました。
「どうにかなるのなら、泣いてなどいない。どうにもならないから、泣いているんだ」
屁理屈だと思うかもしれませんが、私はさすがに賢人の言葉だと思います。 どうにかなることなら、前向きにがんばるべきでしょう。あきらめずに、努力したり、工夫したり。
しかし、死別だけはどうにもなりません。
どうにもならないことにぶつかったら、どうしたらいいのか?
泣きましょう……。
それは、弱さでもダメさでもありません。どうにもならないときでも、唯一、できることなのです。

<賢者の答え>

マニダッタの主張
「全財産を投げ打った自分こそ夫にふさわしい」
→この主張をもっともだと思ったあなたは……
愛する者のために全財産をなげうつというのは、気持ち的には思えることであっても、実行するとなると、なかなかできることではありません。まして、亡く なった人のために。マニダッタの行いはたしかに素晴らしいでしょう。
しかし、喪った人への思いから、自己犠牲を払うというのは、あまり適切とは言えません。でも、これはついついやってしまいがちです。相手は死んだのだから、死ぬほど辛い目にあったのだから、自分も辛い目に……という気持ちはとてもよくわかり ます。幸せになったり、楽しんだりしてはいけないような気持ちになることもよくわかります。 あなたもそういう気持ちになりやすいほうでしょう。
しかし、いくら辛い目にあってみても、それでは悲しい気持ちは消えません。大切なのは、自分をいじめることではありません。思い切り悲しんで、そしてきちんと別れを告げることなのです。

ミトラーヴァスの主張
「秘薬を持ち帰った自分こそ夫にふさわしい」
→この主張をもっともだと思ったあなたは……
そもそも生き返ったのは、ミトラーヴァスのおかげで、そうでなければ結婚問題も起きません。彼こそが最も素晴らしい行いをしたと考えるのは、当然かもしれません。
しかし、彼はメーダーヴィニーの死を受け入れませんでした。そして、何とかしようとしました。物語ですから、なんとかなりましたが、これがもしなんとかならなかったら、どうでしょう?
彼は愛する者の死を受け入れられないまま、さまよい続け、失望のうちに人生を終えることになってしまいます。ギリシャの七賢人のエピソードでも述べたように、どうにもならないことを、どうにかしようとしてはいけないのです。
あなたも、どうにもならないことを、なかなか受け入れられないほうでしょう。 しかし、その気持ちを、「どうにかなること」のほうに振り向けましょう。そうすれば、必ず道は開けます。

シュードラカの主張
「悲しみ続けた自分こそ夫にふさわしい」
→この主張をもっともだと思ったあなたは……
全財産をなげうつというような自己犠牲を払ったわけでもなければ、秘薬を持ち帰るという偉業を行ったわけでもありません。でも、喪った人を思って泣く、これは残った者にできる唯一のことです。自然な心の動きであり、それこそが大切なのです。
「泣くだけではなんの意味もない」「泣いてばかりではダメ」などと思われがちですが、そんなことはありません。
もし自分が命を落としたとして、それを心から泣いてくれる人がいるとしたら、どれほど救いになるでしょう。そして、泣くことは、残った者の心の救いにもなります。とことん悲しむことによって、心は次第に回復していくことができるのです。もちろん、嘆きすぎて、身体や心が弱りすぎないよう、注意は必要です。
また、【喪の儀式】によって、泣くことにも区切りをつけることが大切です。
これを選んだあなたは、すでに悲しい別れを乗り越えたことのある人なのかもしれません。 乗り越えることは、決して喪った人を忘れることではありません。悲しくではなく、あたたかく思い出せるようになることです。いっぱい泣いたからこそ、笑顔で思い出せるようになるのです。


今回のお話は、多くの人々が乗り越えなければならない感情について、テーマにしていただきました。
悲しみを乗り越えるため、明るい笑顔を取り戻すよりもまず、【ただ、泣く】という時間も、今は必要なのだな…と、テストを読みながらスタッフは感じました。
何かを失い嘆いている人が身近にいたとき、励ますことも大切だけれど、そっと見守ることも、同じくらい大切なのかもしれませんね。

占いHappyWeb本格鑑定へ
https://mbhappy.com/paidFortuneList.php