占い師として息子として、「新宿の母」に思うこと

占い師「新宿の母」こと栗原すみ子先生が東京・新宿のデパート「伊勢丹」横に初めて立ったのは昭和33年4月1日。今年で、鑑定歴60周年を迎えました。
今、同じ伊勢丹の横に立つのは「新宿の母・二代目」、実の息子である栗原達也先生です。新宿の母とは違った切り口で悩める人を救い続けている達也先生に、お話をうかがってきました。
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――新宿の母・栗原すみ子先生のことを、息子として、また占いの師として、どのように感じていますか?

栗原達也先生(以下達也先生)  新宿の母は、占いの母、皆の母としては満点。ただ、本当のお母さんとしては20点だね。基本的に僕とは血の繋がった親子なんだけれど、やっぱり幼少期にそばにいなかったのもあって、母としての実感はあまりないんだ。世間的には「おふくろ」と呼んだりするけれど、その感覚は、一緒に暮らすようになった今でも変わらないな。

ただ、占いの師としては、とにかくすごい、真似のできないの一言だね。真似をしようと思ってもできるものじゃないし、それだけ高い位置にいると思うよ。

今でもよく、10年20年前におふくろに占ってもらった人たちが、「あのとき言われた通りになりました」と、僕のところに報告に来てくれるんだ。それだけ先を見通す目を持って、相談者の10年先、20年先を予言できていたというのは、そうそうできることではないだろう。

――栗原すみ子先生との印象的なエピソードがあれば教えてください。

達也先生  かつて、僕自身も結婚相手との相性をみてもらって、「大凶の相性だから絶対に結婚しない方がいい。添い遂げられない」と言われたことがあったんだ。実の息子だから普段よりも厳しい言葉で反対したんだと思うけれど、僕はそのとき占いを信じていなかったから、そのままその人と結婚したんだ。

そうしたら、相手は大病を患い入院、自分も交通事故に遭ったりして、一緒にいられたのは2年ぐらいだったか……。結局、不治の病が原因で離れることになって、その人も若くして亡くなったけれど、そのときは「言われた通りになってしまったな」と思ったね。

――栗原すみ子先生の60周年に際して、一言いただけますでしょうか。

達也先生  節目を迎えた今、思うことは、おふくろにはとにかく死ぬまで現役でいてほしいということかな。身も心も、現役の占い師でいてほしい。10年というと少し先のように感じてしまうけど、まずは3年、5年と、生涯占い師でいてほしいと願っているよ。それが、鑑定歴60周年を迎えるおふくろへの、一番のお祝いの言葉かな。

――ありがとうございました。


【「新宿の母・二代目」栗原達也】
昭和29年生まれ。
「新宿の母」栗原すみ子の息子として生まれるも、母は占い師となることを選び、祖母に勘当されていたため、7歳になるまで自分の母親は死んだものと聞かされて育つ。
 実の母親と再会するも、離れていた期間が長かったため心を開くまで10年以上の時間を要した。
 20代のころ、その天性の才能から、母に勧められ一度は占い師を志し、九星気学・手相・姓名判断・人相学を学び修行をするも、偉大な母親を前に「自分はまだまだ相談者をしあわせに導く力が足りない」と社会人経験を積むことを選ぶ。
 喫茶店経営や会社勤めなど、30年以上実社会で働き、最終的には200人の部下を抱える立場となる。その間に、2度の離婚と3度の結婚を経験し、誰かに助けて欲しいと願う、悩める人の気持ちに寄り添うことの大切さを身をもって知る。
 50歳を期に、再度新宿の母に弟子入りし、毎日350万人が行きかう街・新宿で、母が立ち続ける伊勢丹横に「二代目」として立つ。
 磨き抜かれた観察眼と天性の占いの才能を発揮し、悩める人々の未来を指し示す。
二代目・栗原達也 オフィシャルサイト
http://www.kuriharatatsuya.com/