元号に続いて今度はお札が変わることになりましたね。現在は福沢諭吉一万円、樋口一葉五千円、野口英世千円という顔ぶれですが、武士から官僚を経て実業家の道を歩んだ渋沢栄一が一万円。日本においての女子教育の先駆者津田梅子が五千円。ペスト菌を発見した医学者北里柴三郎が千円。
ニュー紙幣な方々も気になりますが、その前に、今回は現在のお札。最近、女性を書いてなかったのもあって、樋口一葉にスポットを当てました。

なんと神功皇后から123年ぶりに選ばれた女性が樋口一葉。2004年(平成16年)11月1日以降、新渡戸稲造に変わって五千円札の顔になっています。
名作「たけくらべ」か、はたまた現在人気の漫画「文豪スレイドックス」か、人によって浮かぶイメージはまちまちと思いますが、明治時代に咲いた夭折の小説家はどのような星をもっていたのか見てみたいと思います。

先ずは略歴から。1872年5月2日(明治5年3月25日)~1896年11月23日(明治29年)東京駅からも近い内幸町にあった官舎(今でいう公務員住宅)に住む。東京府の下級役人樋口則義と多喜夫妻の次女として生まれる。本名は樋口奈津(ひぐちなつ)。一葉はペンネーム。
1883年12月(明治16年)私立青海学校の高等科第四級を主席で卒業。母・多喜は「女に学問は不要」という押し切り、一葉は進学を断念。「悲しく辛い出来事」として、この時のことを日記に残す。
1886年(明治19年)父の知人から中島歌子の歌塾「萩の舎(はぎのや)」を紹介され入門。和歌のほか古典文学も学び、講義をする実力も付けてゆく。父方の祖父から紹介された渋谷三郎と婚約。
1887年12月27日(明治20年)大蔵省出納局に勤務していた長男泉太郎が肺結核で死去。一葉は父を後見に相続戸主となる。
1889年(明治22年)警視庁を退職した父則義は、荷車請負業組合設立の事業に参画。家屋敷を売り払って作った出資金を騙し取られ、負債を残したまま死去。
相続戸主となっていた一葉は樋口家を背負い、借金のため渋谷との婚約も破断になる。母と妹は針仕事や洗濯等で収入を得ようとするが、元婚約者の自由民権運動の他、男女平等の影響を受けた一葉は、女性特有の仕事を好まず歌塾の助手を志す。
1890年(明治23年)萩の舎の内弟子として中島家に住みこむ。弟子の一人三宅花圃が小説を書いて収入を得た話を聞くと、迷うことなく小説にチャレンジ。が、塾の仕事だけでなく女中仕事も課せられ半年くらいで辞退。
本郷菊坂(東京都文京区)に移り、母と妹と3人で針仕事や洗い張りなどで生計を立てるが、生活苦に陥る。
1891年(明治24年)数え年20歳で『かれ尾花』などいくつか習作を執筆。
妹の知り合い野々宮菊子から、東京朝日新聞専属作家の半井桃水(なからい とうすい)を紹介され師事する。
1892年(明治25年)同人誌「武蔵野」に「一葉」の筆名で『闇桜』を執筆。
萩の舎で一葉と半井のスキャンダルが広まり、師匠の中島歌子をはじめ周囲の反対を受け、一葉は桃水とは絶交。田辺花圃の紹介で、小説『うもれ木』を雑誌『都之花』に発表。初めて原稿料を受け取る。
1893年(明治26年)吉原近くの下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開く。この時の日常経験が、代表作となる小説『たけくらべ』の題材となる。年末『琴の音』を文学界に発表。
1894年(明治27年)近所に同業者が開業し商売が苦しくなり、5月に店を引き払い、本郷区丸山福山町(現在の文京区西片一丁目)に転居。萩の舎との交渉で交渉月2円の助教料が得られるようになる。
1895年(明治28年)半井桃水から作家、大橋乙羽と妻ときを紹介される。『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』をはじめ『経つくえ』を書き改めた上で『文芸倶楽部』に再掲載。随筆なども発表。多くの作家が彼女の家を訪れ作家同士の交流も活発化する。
1896年(明治29年)『文芸倶楽部』に一括掲載された『たけくらべ』を森鴎外や半田露伴が高評価するが、この頃一葉は肺結核が進行。
森鴎外は樫村清徳・青山胤通らの名医を彼女の元に往診に向かわたが回復のめどは立たたず11月23日、丸山福山町の自宅において、24歳と6ヶ月で死去。葬儀は身内だけで築地本願寺で行われた。

あまりにも短命。それでありながらかなり波乱万丈な人生ですが、ホロスコープを見てみましょう。
1872年5月2日(明治5年3月25日)東京生まれ(12時設定で作っていますから月は仮設定。ASC,MCは重視しません)



太陽星座 おうし座 11°
月星座 うお座  5°
第1ハウス 本人の部屋 しし座
第2ハウス 金銭所有の部屋 おとめ座
第3ハウス 幼年期の部屋 てんびん座
第4ハウス 家庭の部屋 さそり座
第5ハウス 喜びの部屋 いて座  ♄(♑21°)
第6ハウス 健康勤務の部屋 やぎ座  
第7ハウス 契約の部屋 みずがめ座 ☽(♓11°)
第8ハウス 生と死の部屋 うお座
第9ハウス 精神の部屋 おひつじ座 ♀(♈21°)♆(♈24°)☿(0°)☼(11°)♂(15°)
第10ハウス 社会の部屋 おうし座 ♇(19°)
第11ハウス 友人希望の部屋 ふたご座 node(13°)♃(♋23°)
第12ハウス 障害・溶解の部屋 かに座 ♅(27°)

太陽はコンジャンクション以外、他の惑星との絡みがありません。
書き物をなさる方ですから、水星がどこかなぁ、想像性に花を添える海王星は?とか思っていたら、水星は太陽と同じくおうし座でしかも入室したばかり。逆境の中で粘り強く頑張れたのは、おうし座に集まった星たちの相乗効果かなと思います。
星座は違いますが、同じく精神の部屋に、金星も海王星もいました。しかも海王星。微妙に8ハウスに触れつつ土星と90°。
人生上、授受できる物事を意味する8ハウスの最後に海王星来ていること。土星と他の惑星たちの絡みを見ると、彼女の少女時代の顛末もうなずけてきます。


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一葉の父は今でいう公務員。その祖父八左衛門(はちざえもん)は、甲斐国山梨郡(現在の山梨県甲州市)の農民ですが、俳諧や狂歌、漢詩を嗜む学問好きな人でした。
その影響で彼女の父も百姓仕事よりも学問を好んだそうです。母の多喜とは駆け落ち同然で上京し恋愛結婚。政府役人のかたわらで、金融業や不動産業などのサイドビジネスを手掛けるという環境の中、5人兄弟の子をもうけます。

教育熱心な父の影響もあり、一葉は本が大好きで勉強熱心な少女として育ちます。しかし「女にこれ以上の勉強は不要。家で針仕事や家事を身に着けるべき」と進学の道を止めてしまったお母さん。あんまりな話ですが、当時は20歳になる前に嫁ぎ先が決まる時代でした。
一葉も例外ではなく、文豪夏目漱石の兄弟に嫁ぐ話が出たり、双方の祖父同士が知り合いで坂本三郎という青年との婚約話しも出たのです。多喜の考えは娘を持つお母さんとして、この当時では普通な範囲なのですが、進学を断念させられた一葉には相当悲しい出来事で、それは彼女の日記にもつづられています。

見かねたお父さんは、当時の樋口家にはある程度の経済力があり、華族や政治家の婦人や令嬢の通う歌の塾「萩の舎」に娘を入門させます。きらびやかな塾生の雰囲気に気をくれしつつ、才覚を見せてゆく一葉。
しかし、その幸せは長くは続かず、家計を助けていた長男の病死した後、財テク家のお父さんは投資で騙され、多額の借金を残したまま亡くなってしまい状況が一変。樋口家は急速に貧困家庭となってしまったのでした。

次男は素行の悪さから既に勘当。長女についても詳しくは触れられていません。家督相続者としての責任が、当時17歳の一葉にのしかかり、婚約者の坂本三郎からは、高額の結納金を請求しても樋口家が払えないことを理由に婚約破棄を告げます。
ここ一番で誰かを頼りたい時、心を寄せたい相手に裏切られる絶望。そして、この後、作家になることを決意して師事した半井桃水との関係を、「萩の舎」の人たちから反対され、やむなく絶交を選ぶ一葉ですが、どちらも年頃の彼女にとってはかなり傷ついた出来事だったと思います。

しかし、がっちりと結果を生み出すのもおうし座!とばかりに、幼い頃から培った学習力と文芸文学の血筋を土台に、苦悩だけでなく、吉原の近くで駄菓子屋を営み地域に暮らす人々の生活に触れたことを含め、一葉は経験のすべてを作品の肥やしとして生かしてゆきます。

底辺から脱したいと願う遊女のお力(りき)は、馴染み客である長屋住まいの源七よりも、上客である結城朝之助に好かれることで、底辺層から這い上がることを望みます。しかし、朝之助に本音を見透かされ振られてしまうお力。妻と子を養うはずの経済を彼女につぎ込んだ源七は、仕事もしなくなり家庭は破綻。やがて、この二人は棺桶に入った姿で町から消えてゆくという男女の愛憎劇「にごりえ」。
底辺層の生活者が迎える大みそかを描いた「おおつごもり」。裕福な高級士官に見初められて嫁いだものの、長期化する夫のモラハラに悩む妻を主人公に描いた「十三夜」。
吉原にいる姉を持つ14歳の女の子美登利を中心に、幼馴染の正太郎と寺の跡取りとして生まれ育つ信如。大人でもなければ子供でもない年齢で、つい意地を張ったり素直になれないまま過ごす日常から、美登利の髪が島田髪に変わり、幼馴染たちとは違う遊女の世界に入ってゆく哀を描いた「たけくらべ」。

いずれもきれいな文脈の中に、堕ちてゆく男女の愛憎や辛苦をなめる人間模様。はかなさを盛り込んだ作品群です。当時、森鴎外や半田露伴も絶賛していますが、描かれた人の心の綾は、今の時代も通じるものがあり、鑑定にも参考になると思います。

月や土星と他の惑星の絡みからも急な抑揚のある人生は察しがつきますが、厳しい環境に苦悩しつつ執筆を続ける粘り強さと、女性としての愛らしさを損なわなかったのは、おうし座に集まる星々効果。そして絶交したはずの半井から一葉は大作家大橋乙羽を紹介されますが、これは木星・天王星のチャンス増幅コンビがもたらしたのかもしれません。

博文館の館主、大橋佐平の長女であり乙羽の妻ときは、夫同様に一葉の小説に価値を見出し、再編して世に中に発表していったのでした。これまで以上に人の目に留まり、一葉の作品はどんどん日の目を見てゆくにつれて、多くの作家たちが一葉に会いたくて、文京区にある彼女の家を訪れたそうです。

人間上り調子になると対人関係の輪も広がるものですが、父の死によってどん底に落ちた時、一葉を見捨てた坂本三郎も、彼女が売れっ子作家になったのを聞きつけ、改めで交際を申し込んできたのでした。あまりにも身勝手な申し出は退けられましたが、奇跡の14か月はこれまでの時間を取り戻すように一葉に華やかな時間をもたらしたのです。

『文芸倶楽部』に一括掲載された『たけくらべ』を森鴎外と半田露伴が高評価。周囲もさらに作家一葉への期待は膨らみますが、同時進行で肺結核が彼女の体を蝕みます。森鴎外は樫村清徳・青山胤通らの名医を彼女の元に往診に向かわせますが、回復のめどが立たないまま11月23日。大輪の花火が消えるように、一葉の24歳と6ヶ月の人生に幕が下ります。
彼女の才能を高く評価していた森鴎外は、彼女の早世をとても惜しんで陸軍軍医総監・森林太郎として正装の上、騎馬にて棺に従う参列を遺族に打診しますが、これは遺族側に丁重に断られ、葬儀は身内だけで築地本願寺で行われました。
台東区にある地下鉄三ノ輪駅からほどほどの距離に「丈くらべ」の舞台となった千束稲荷神社(台東区竜泉)。日本初の女性作家単独文学館一葉記念館があります。



たまたまなのですが、2年ほど前、自転車で千束稲荷の前を走った時、撮った画像です。「たけくらべ」ゆかりの千束稲荷神社と看板が出ていますので、すぐにわかります。
樋口一葉。今の時代にも考えさせるだけの世界観を持つ小説家を訪ねて散策してみるのもいいかもしれません。

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